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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
さてここからテーマになっている「気づきの瞑想」とは何ぞいや?に入っていきます。 人間は五感を通して様々なことを知ることができる。それが心の中に様々な思いを作り出す。 透明な空っぽな心によって真実の自分(命に根ざした自分の生き方)を実現するためには、透明空っぽな心を作り出す、あるいはそれを維持する力(方法)を持たなければならない。 そのために、東洋の霊性では修行があったり座禅があったりする。 生きることを支えるはずの五感が実は心の中に不要な思いを作り出す。たとえとして兄はこんな話を入れました。 清潔なところで針を踏んでしまって足の裏を傷つけた時と、とても汚れているところで針を踏んだとき、同じように痛みを感じるけれど、心の中はどうだろう。 たぶん普通に日本の社会で生きている人は後者の方がより大きな不安や恐怖心にかられるでしょう。さまざまな細菌が体内に入って大きな病気を引き起こすのではないだろうか・・・て! 気づきの瞑想は痛みだけを観察することで、心の中に広がる不安を分離させてしまう。そういうテクニックなのです。 高い所が怖い、狭いところが嫌、それは本当は動物である人間が本能的に身を守るために獲得している感情だと私は理解しているけれども、こういうものも必要以上に心の中に広がれば、本当は安全であると分かっていても、制御不能になってしまいます。冷静さが失われれば、いい判断もできなくなってしまいます。 生きていく上でも、感覚に巻き込まれない心を維持していくことは本当に大切だなぁと思いました。 そのテクニックと訓練の方法については、くわしく知りたい方はまた本を読んでみてください。 「日常で神とひびく」「日常で神とひびく2」柳田敏洋著 ドン・ボスコ社
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