|
テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:言葉
今日は久しぶりに703さんとデートしました。圓光寺に連れて行っていただいて静かな佇まいと幾重にも重なる緑にほんの少し色づき始めた木々の美しさの中でお話をしました。 「好き、嫌い」の話が出てきて面白かった。 私自身はそんなこと一度も考えたことなかったのに、何だかさも前から考えていたかの如く、言葉が流れ出てくるのが不思議だった。 「人間にとって好き嫌いはどうしようもなく存在するもの」 ほんとうにそうだろうか?という疑問が突然浮かんだのです。 二人で考えていくうちに、 やりたいと思うしそれをやっていると時を忘れてしまう。 それが好きなことなんだと意識させているのは本人ではなくて、周りの人間ではないだろうか? 多くの時間を費やしてレゴに没頭していた5歳のわが長男は「レゴが好き」 どうしてこんな話が出てくるかというと、好き嫌いに人は動かされるということ。必要以上に好き嫌いに心が奪われる。 好きは幸福を運んでくれる。喜びに出会える。 嫌いは不快だし、そばにいるのも拒まれる。嫌いなものを口にするのは不幸のどん底。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな状態。 そういうイメージを持ってしまうでしょう? でも本当は「口に合わない。」「イメージに合わない」「やりにくい」「理解できない」そういうものであって、嫌いなのではないのでは? 私たちは小さなときから、わざわざ好き嫌いを表現させることで、たくさんのいらぬ鎧を子どもたちに着せてしまっていたのかも・・・ ごめん、ごめん、
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|