友人のお母さんのお葬儀の時
私の心の中に最初に広がったものは「お母さん」だった。
これが友人の「お父さん」だったらそんなに涙しなかったのではないか、と思った。
それは私が女性で、お母さんをしているからかもしれない。
でも喪主としてご挨拶されるお父さんの姿を拝見したとき、お母さんがお母さんとして生きていられるのは、このお父さんの力も大きいのだと感じた。
その朝、Toは自分のPCの画面を開けて私を呼んだ。
「ちょっと、この文読んでみてくれる?」
「あぁ プリントアウトしてもらえたら読めるかも。今、そこに(PCの前に)張り付いてはいられない~~」
彼は時々、患者さんの家族会の方へのお話とか一般の人への講演原稿だとか、専門的なことでも普通のお父さんお母さんたちに向かっての話や文については、分かってもらえるかどうかの判断のお試し役を私に頼む。
バタバタしている私だから、彼はさっそく二階のPCにメールで原稿を送り、そこでプリントアウトしてくれた。
私は洗濯物を干しながら、ちらちら読む。
この前工事中の病院の地下通路に造形芸大の学生さんたちがホスピタルアートとして絵を描いて下さった、そのまとめとしてつくられる冊子への依頼原稿だった。
洗濯ものを干し終えて残りは父さんの下の部屋で読む。
「どう?」
「ついにToさんももの言うようになったね」
「え?それどういう意味?」
本当のところ、もう今にも涙がこぼれ落ちそうになっていて、そのまま応えられなくて、何かはぐらかした言葉を返した。
どこかの本の引用でもなく、集められたデーターの分析でもなく、また、職業上の専門家らしきところも全くなく、本当に自分の体験からの言葉が述べてあった。
私は初めてToさんが心のうちを文字にしたものに触れたような気がした。
二人でそれはいろんなことをおじゃべりはしている。
銀婚式ももう遠に済んだのだからそれなりにToさんが思っていることや考えていることは分かっているつもり。
でも、やっぱりこうしてあるテーマについてのことが文字になっていると、その印象は全く違ってくる。
なんて言えばいいのだろう。
彼の言葉がただその場の思いつきの言葉ではなく、客観性を持った存在感があるというのかなぁ
確かにそれはそのとおりでしょう。
彼自身が公にすることを良し、とした言葉なのだから・・・。
友人のお父さんお母さんもこのようにして長い間夫婦の絆を育ててこられたに違いない。
病気になったり、長い入院生活の中でも・・・
コミュニケーションが難しくなればなるほど、もっと深いところでつながることができ、そのように繋がっていることの大切さをどれほど感じられておられたでしょう。
それでもやっぱりいつか見送るか、見送られるか、そういう時がやってくる。
その日までこの絆を大切に生きていくほかに私が生きていく道はないなぁと思った。
これが、この日友人のご両親とToさんが一緒になって私に贈ってくれたプレゼントでした。