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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:教会にて
実は今日は違う日記にしようと思っていたのですが、Tetsuoさんがルカ福音書の5章6節のことを書いてくださったので、この話題を続けることにしました。
予想だにせぬことに出合う。それはどれほど経験を積んでもどれほどの勉強や練習を積み上げてきても、避けられないことです。 ハッとさせられるこの出来事にペトロは何を見たのでしょう。 いずれにしても私はこの出来事を通して彼は今までの自分の尺度をほかしたんだなぁと思いました。 自分が学ばなくてはならないことはこの出来事を起こした人、イエスの語る神の言葉だ、そうシモン・ペトロは思ったのでしょう。 だから彼はあっさりと今まで自分を支えてくれていたすべてのものを残して、イエスに着いていく決心ができたのだと思います。 私たちの日常も勉強という活動の中で、多くは正しいものは何か、とか正しい物のとらえ方、考え方というものを学んできましたが、実際の人間の活動、自然のあり方など、あらゆるものが正しい正しくないの2元的に分類できるものなどほぼありません。 ある状況下でも同じことが起こるとも限らず、いつも原因結果をきれいに結ぶことなどできないのです。 でも、たぶん理屈が通っていなくても、理由がわからなくても、本当はちっとも私たちは不安に陥ったり混乱したりはしないのです。 逆にいえば、理屈がきちんと整っていたら、わけがわかる、としっかり立っているように思うのは単なる幻想です。 人間はわけがわからろうとわかるまいと、変わらずちゃんと生きている、それだけは自分で実感できる事実。 そう、シモン・ペトロを動かしたのは事実だったのでしょう。
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