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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:教会にて
フラシスコが着た修道服は染色を施さない粗布でできていたそうです。なぜ染めないものを着たのか映画を見て(昨日の日記)、よくわかりました。 全く何も持たずに家を出たフランシスコ。その生き方に共鳴してだんだん若者たちが彼のところに集まっていきます。 彼らは近所の農家のお手伝いをして食べ物を分けてもらうこともありましたが、多くは自然に実っている物や托鉢での施し物で生きていました。 ある意味路上生活の皆さんと何も変わらないのです。世間一般では、施し物をいただくような寄生した生き方は駄目、自活です、が常識となっているけれども、この托鉢という生き方は一体何を表しているのでしょうか? こちらから下さいと呼び掛けなくてもいただけるということが、すなわち動植物たちが自然の恵みに出会えて生きていくのと同じ、すべてを神様に委ねているということなのかもしれません。 それが人間だからより一層精神的な恵みにまで広げていくことができるのですね。 A「いやいや、反対だよ。愛だからパンなんだ。 フランシスカンの方々は何においてもまず「それが愛から始まっているのかどうか」を大切にされているのかもしれないですね。そこにクララは共感していったのです。 「平和の祈り」 主よ、私を平和の道具とさせてください。 あぁ、主よ、私に求めさせてください 人は自分を捨ててこそ、受け お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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