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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:ひととき
ミニ真名の中ではいろんなことをお話しする。 私の周りの人々で信者という形で宗教のメンバーとなっておられる方はめったにいらっしゃらなくて、むしろ人間を超える力や自然の摂理をつかさどる神の存在をおぼろげながら感じていたり、自分の願いを実現するために、あるいは人のために祈ったりするというような宗教心をお持ちでいらっしゃる方々です。 そういう方々が描いておられる神さまと私の神さまとは違うのか?と考えてみると、本当のところ、そんなに変わらないのではないかと思います。 たとえば私の苦しみや悲しみを手に取るように感じてくださっているのが私の神さまで、だから私はあわててその苦しみの中から逃れたいと暴れなくても済み、いつかそのうち通り過ぎていくだろうと、肩の力を抜くことができる。 昨日の話題の身体とさようならをしなければならない時や肉体的老化や病気に直面していく数々のハードルに足をかける時も、それが特別なことではなく常に自分の毎日の中で起りうることであり、そんな時こそ、神さまは私のそばにいてくださると具体的に知っていれば、さほどそのことを恐れなくて済む。 この具体的なあり方が描ける、ということはすごく安らぐことができ、それは人と人とがつながり合う、と全く同じようなことに感じている私です。
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