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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:家族の姿
大ママを語るなら、大パパを語らないわけにはいかない。 誰の目から見ても、一緒にいる時間の長かった大ママの影響を子どもたちは大いに受けたことは事実だけれど、大ママが大ママらしく過ごせてこれたことの一つには、大パパの生き方があったと思う。 大パパは子どもたちが成人する前、そばにいなかったからいろんなことを大ママに任せていた。何でもかんでも任せっぱなしで、またそれをやり通してしまえる力を持っている大ママだったからでもあるけれど、大パパは「Going my way」で生きている人のように見えた。 全てを請け負っているように感じる大ママにとっては、ひと時でも気楽になれる時があればどんなに良いだろう…、という重圧感がいつもあったと思う。実際私だってそれは感じるもの、たとえToさんがそばにいても・・・。母が請け負う仕事とは決して気楽なものではない、ということだ。 そんな時そばにいてくれないことは、突き放されたような感じもあるけれど、逆に自分だけで判断できるという身軽さもメリットとしてある。 このはがきたち、行き先は毎回違うところかもしれないけれど、本当は全部大ママのところに届けたい、そんなはがきだろうな、と私は思う。 先日も長女Hあてにはがきが届いた。 「Hさんへ たぶん、Hはまだこのはがきの値打ちが分からないのだろうな、と思う。
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