しかし私が最初に抱いた疑問は現実のものとなっていきました。
楽譜を手にしたのは去年の5月、確かに分厚くて今までになさったプロオケの書き込みがいっぱいある。
でも私たちにとっては、それは書かれ過ぎていて却って分かり辛い。
そして私たちの公演に合ったものにするために削除される部分、つなぐところ、などを新たにやり直していかなければなりません。そういう手直し作業も今までにはなかった作業でした。でもまだまだ1年もあるのだから、・・・との油断が団員の積極的な動きに少しずつブレーキを与えていました。1年は長い~~
そして楽譜上の変更はソリストと指揮者の打ち合わせの度に大幅にあり、結局公演1か月前でもまだ変更がなされ、私自身の楽譜の間違いは公演3日前に見つかりました。
公演直前の練習になって、
「あ~~、ここ、こっちのボーイングが良かったなぁ~。何で気が付かなかったんやろ~」
と思いました。
最初から書かれていると、それに囚われて、新しいことを思いつかないのです。この楽譜はプロの人たちのものであって、私たちの実力で最も必要な表現に近いボーイングを考えるべきだったのにね~~
でもこの間際になって今更変えられない・・・!!
曲に関して言えば楽しい演目のオペラだといっても、シンフォニーのように端から端まで自分たちで味わい音楽づくりに精を出すものではなく、ソロパートや合唱パートを想像しながら、オケの部分のしかも自分のパートの表現についてどの程度どんなふうにしたらいいのだろう考えていかなければならない。
想像がつかなければフィンガリングもボーイングも実は決めにくい。
市販のDVDやCDはいくらでも聴くことはできる。でも私たちのソリストたちは、どんなテンポでどんなふうに歌うでしょう?それが重要なのです。
そのあたりが不確かな中での練習は、ますます音楽する意欲を私の中からも吸い取っていきます。 今、何かを決めても無意味・・・
だからその場その場でマエストロのいうこと、もっと柔らかく、もっと悲しい雰囲気で、音をひきずらない、かろやかになどを実現しようとすることにとどまってしまう。
そういう練習の繰り返しは、まるで波打ち際で砂の城を作っているようなもので、波が来るたんびにその多くを失い一からやり直しの繰り返しで、練習の喜びにはつながらないのです。
今日の練習に「よかった」も「悪かった」も言えない。ただ練習をしたことが偉かった、そんな感じです。
本当に伴奏を長期間練習するというのは音楽的にも精神的にもきついことでした。