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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
とうとう、「気づきの瞑想」を体験する時がやってきました。 今日、帰りしなに明日のことを考えて、レジュメを持って帰ってこなかったので、講話の中身はあまりお伝えできないかと思います。 けれども、人間の毎日というものは自分が感じたり考えたり思ったりした世界で生きています。 つまり、この世界を感じて、それに伴って反射的に思うこと、考えること、判断することに私たちは慣れています。 歩いているときにつまづいたら、おっとっと~~、とバランスを取りなおすだけにとどまらず、なんでこんなところでつまづくのか? そこに気づきというものを入れて、自動的に思うことや考えることに至らないようにするのです。 どうやって? 私にとって、自分を感じる、ということはかなり難しいことでした。 「さぁ では背筋を伸ばして座り、上体は緊張させず、表情も穏やかにして、自分の呼吸のたびに動く、お腹や胸に意識を持って行きましょう」 そう言われて、呼吸や胸の動きを自分の意識の中に入れると、途端に息がしにくくなったりします。そんなところに意識を持って行くということ自体が、日常ではないので緊張しているのでしょう。 意識をする、と無意識である、とはそんなにも大きな違いがあるのですね。 あぁ~~、なるほど、これが演奏などに出てくる緊張と同じものなのだ、ということがよくわかりました。 もちろん、瞑想をしているときには、こんなことを思っていけないのです。ひたすら自分を観察し続けることだけを行い、思ったり、考えたりしたらすぐに意識を観察に戻します。 これは今だから、思えることなのです。 兄は面白いことを言っていました。 人間は考えなくてもいいときに考え、考えなければならない時に考えない。 相当私たちはコントロール不能状態になっているみたいです。
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