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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
午前中3時間、午後から2時間半の講話と瞑想、そしてミサと分かち合い(お茶)で5時半ごろ、すべてを終えました。 「気づきの瞑想」の目標は自分の心の観察をして、一体今自分の心はどうなっているのか、ということを自覚し、そのことから、本当の私に出会っていくということでした。 けれども、自分の心をあるがままに知るということは実態の分らない心のことですから、非常に難しい。 午後からの瞑想で、全く姿勢を変えない30分がありました。さすがに30分になってくると足がしびれてきたり腰が少々痛くなったりするのですが、確かにしびれていることを「しびれている」とだけ思い、そのしびれがどんなものか知ろうとして、 そうそう、昨日の話の中でインドでの「気づきの瞑想」10日間のことも出てきました。 それまでの3日間は姿勢を変えてもいい瞑想を一日10時間していたので、体は相当疲れていました。おまけに外気温40度~50度にもなっているにもかかわらず、もちろんエアコンはありませんし、瞑想の時間には扇風機も止められてしまいます。 汗が滝のように出てくる中での姿勢を変えない1時間瞑想は兄にとってこれまでに一度も経験したことのないような苦痛を生み出したのだそうです。 「自分に任されている苦痛ほど苦痛なものはない」そう兄は言いました。 けれども自分で選べる中での痛みは自分の心の中でどんどん心理的に痛みを増幅し、強烈な苦痛となっていくのです。 しかし、自分の痛みを観察し続け、それこそ死に物狂いでやり続けたある瞬間から、痛みは軽減し、全く苦痛というものが無くなっていることに気がついたのです。 自分の心は痛みがあるにもかかわらず、全くそのことにとらわれることなく自由になっていたのです。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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