|
テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
人間の心の反応には三つの種類があるといいます。 それは「快」と「不快」と「中立」です。まぁ中立というのはどちらでもない、あるいはわからない、ということです。 たいていの人間は、不快を避け、快がそばにいてくれることを望みます。 けれども、不快も快も実は苦を生み出す、といいます。 嫌悪も執着も決して良いものを生み出しません。 私はその話を聞いたとき、最近気になっていたことを思い浮かべました。
それは好き嫌いの話です。6年生になった子どもたちが、好き嫌いをはっきりと出すようになってきた、と小耳にはさんだからです。 でもだんだん大きくなってくると、心も成長してきて、今まで自分が嫌いと分類しているものでも、たとえば自分の友人がそれが好きだったら、「やってみようかなぁ」「食べてみようかなぁ」と心の枠をすこし広げる事ができるようになっていきます。 そのやってみようかなぁ、という積極的な力が生まれているのは、友人に対する信頼から、自分の元持っていた感情をちょっと横に置いておくことができるからでしょう。 これは「気づきの瞑想」と同じような効果を持つ、日常にある、心を落ち着けさせてくれる方法の一つ(信頼)だと思うのです。 ところが、それとは逆の形が際立ってきたということは、子どもたちは自分の感情に自分を委ね始めているということです。自分に対する投げやりな気持ちが読み取れます。 ええ、これは俗に言う反抗期ですね。 好き嫌いに執着する彼らの心は本当は反抗期というよりも、心に余裕をなくしてしまっているのではないかしら・・・と思えるからです。 「気づきの瞑想」がやろうとしていることは自分の感情や想像や安易な判断から自分自身を切り離し、本当の自分の姿に出会っていこう(心の観察)、そしてそれに合った冷静な判断をしてより良い行動を選んでいこうということでした。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[本、読み物、講演より] カテゴリの最新記事
|
|