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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:音楽&パフォーマンス
いよいよ、明日はチャリティーです。 昨日も本文の語り部分に手を入れました。それは妹と一緒に練習したとき、 と言ってくれたので、できるだけ私が自然に語れるような言葉に全ページに渡って見直しました。 私自身が自然に語れる言葉、というのはその時その時によって違います。 たとえば小学校の読み聞かせのときも、大抵アドリブで自分の言葉に直して語っています。 さて、「気づきの瞑想」を体験してから、Vnの練習とかで「ひやっ~」とする時がどんなときなのかが少しずつ見えてきました。 確かに弾きにくくて、不明瞭になったりすると、『やっぱり』と自分で失敗をクローズアップさせてしまう、そんなこともありますが、それはむしろダメージが少ないです。 当然弾けて当たり前のところをちょこっと間違ったりすることや、小さな小さな緊張が生まれているときに、『何で?」と自分でそこをクローズアップするから、ますます緊張や間違いが全体に波及してしまうのです。 そんなとき、あくまでも流れ続ける音楽にとことん意識を集中させることができれば、心の迷いも恐れもほとんど感じることが無いようです。 何か邪魔になるものがあるのにも関わらず、必要なものに集中し続ける、それが気づきの瞑想をするようになって、少しできるようになったような気がします。 そもそも私がこの27,8年間必要とされていたことは、常にあっちこっちにアンテナを張り巡らして、同時多発的に起こる様々なできごとに、的確に対応することでした。 瞬時の判断には常にそこから何が呼び起こされるかを予測することが最も大きなポイントです。いわば『気づきの瞑想』とは真逆な訓練を日々やってきたわけです。 けれども、同時多発に対応するために、いちいち起こってくる出来事に自分の感情を膨らます事などやっていられなかった。その事実は、心の反応の前で遮断するという『気づきの瞑想』と同じことをやってきていたのでした。 こうやって、自分のことがだんだん分かってきます。
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