一昨日の日記『堀米ゆず子 ヴァイオリンワークス5」を送らしてもらった友人のMUさんがこんなメールを送って下さいましたので、ちょっとご紹介しておきます。
さて 今いただいたメールを見てちょうどわたしが 先週思っていたことを伝えたくなりました。
毎年 8月はテレビや新聞で戦争のニュースが話題になりますね。
京都新聞に 何日か続けてのっていたのですが京都の人たちが 多くをしめていたある師団のはなしです。
さっちゃんも ご覧になってらしたかな?
敗戦した後、捕虜となって抑留生活を送られるですが、餓えや病気や強制労働で戦争で生き残っても亡くなっていくひとが大勢おられました。
そんな最低の生活のなかで音楽活動がはじまります。
食べ物にことかいているのに楽器なんてもちろんありません。
でも英軍から資材をぬすんで楽器をてづくりされたり作詞作曲されたり、音楽なんて縁のなかったのに収容所で楽譜がよめるようになった人もいらっしゃったそうです。
そしてどんどん エスカレートとして舞台装置や女形の着物やかつらまでつくられたそうです。
そして英軍の目を盗んで、毎週ショーをされるのがみんなの最高の娯楽だったそうです。
でもそれが評判になって、その英軍の兵士から手づくりできない管楽器が贈られたそうです。最後は少し前まで敵だった英軍たちも、拍手喝さいでショーを見ていたそうです。
そこにいらした方たちは望む望まないにかかわらず、敵も味方もみんな兵士でした。
自分の意志にそむいて、人を殺めた方もいらっしゃったと思います。
人間は、自分も含めて大きな権力の前ではなんと弱い存在かと思います。
自分の意志や感情までコントロールされる世の中は、本当に恐ろしいと思います。
でもそんな極限状態の中で、
音楽を始める・・・
自分の中に人間性を取り戻させる・・・
さっちゃんのメールの中でおっしゃっていたまさしく「良心を呼び覚ます」行為だったように思います。
そしてそんな最低の中から自分を取り戻していく人間は、なんと強い存在かと思います。
私は今の世の中に不安なことばかりですが、弱いけれど強い人間という存在に希望があると思っています。
逆境にあるときにこそ、人間は本当に自分たちに必要なものを見つけることができる。
私はこのメールを読ませてもらって、日本でベートーヴェンの第九の初演が、捕虜収容所にいたドイツ兵たちによって行われたことを思い出しました。
全く同じことをしていたのですね。人間は本当に何も変わらない。
だけど、互いの違いを受けとめることができないと、その何も変わらない同じものを互いの中に見つけることができない、そんな気がしています。
MUさん、素敵なメッセージをありがとう!!