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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:子育て
昨日の話の続きとして、私の心の中に今蘇ってきたことがあります。 そういえば、私も小学生中学生高校生と児童青年期を過ごしていた中で、自分はだめな人間と思っている部分がありました。いわゆるコンプレックスです。 その理由はたぶん、私自身が何もできない人間だから、と自覚していたからではなく、母が自分の子どもたちを見まわした時、もっとも平凡でとくに特徴のない子供だ、と思っていたからではないか、と思います。 特別に心にかけて伸ばしてあげたい、と思うほどの才能もないし、反対に手をかけてあげないといけないほどの心配な面もない。 母にとって特別な子ども、つまりある分野の才能を見せることができる兄や姉たちに対するコンプレックスが育っていったのです。 ところがある時、それがまるでコートのボタンのようにぼろっと落ちた瞬間がありました。それは私が大学に入った時のことでした。母や周りの大人たちが私をほかのきょうだいと同列で見てくれている、と私のどこかが察したのです。 確かに、子どもの時に自分の中にあったコンプレックスとは自分が失敗したから心の中に住まうことになったのではないかもしれないです。 とはいうものの、人間だれしもコンプレックスの一つは二つは持っているのが当たり前。 このおおらかな心を持っていたい、育てたい
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