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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:自然の恵み
久しぶりに聖書深読会をしました。ところがまぁ、眠いのなんのって・・・、ヨハネの福音書12章20節~33節を書き写している間にも、まぶたが閉じて寝てしまっているのですから・・・。 この強烈な睡魔の震源地はちょっとした寝不足もあるかもしれないけれど、多分花粉症のせいだと思います。 この数日間の大量の花粉の到来に身体が保てなくなってきているのでしょう。 やれやれです。 さて今日のみことばの個所で最も心に残ったところは以下のところです。 24 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 25 自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 言葉通りにとったらちょっとおかしいな?と思えるところはあるけれども、それは大意を崩すものではないと思います。 地面に落ちた一粒の麦、自分の姿かたち、今の自分にこだわっていたら結局は何も得ることなく人生を終えてしまいます。 でも同じように落ちた一粒の麦であっても、自らをすべて自然にゆだねて生きようとした時それは何も望んでいなくても、多くの実を結びその麦たちがまだ地に落ちてさらに多くの実を結んでいくだろう。 この24と25を読んだとき、前に紹介した亡くなった中学生E君とご家族のことが心の中に浮かんできたのです。 死は本当に深い深い悲しみを生みだすけれども、それでも彼の毎日の輝きとご家族のあり方が、これからどれだけ多くの人々の生き方に寄り添い確かな励ましとなられるか、と思うとそれこそが、「永遠の命」に表わされる「喜びと感謝の実」だと思うのです。
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