そういえばカナダにいるときはたくさん「伝わらない」やら「わからない」に出会ったなぁ、と思う。
そうやっていっぱいのコミュニケーション事故にさらされていると、いちいちそのことを気にしなくなる。
肝心要のここだけは、と言うことさえ伝わっていたら満足。
日本語ならあれこれ説明したくなるけれども、違いを伝えたくなるけれども、なぜか英語なら、短い言葉で十分それで満足してしまう。
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それでも互いに安心できてしまうのはいったい何の働きなのかしら・・・
私たちひょっとしたら母国語を使うとき「言葉」、にたより過ぎているのかもしれない