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さっちゃん9
さっちゃんのブログへようこそ
夫と7人の子どもたちの物語です。
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今日はミニ真名だった。いろんな話題がのぼる中で「母と私」が印象に残った一つ。
子どもたちは自分の受けたものが何を意味しているのか、理解する力を持っている。
表面上の優しさの裏に子どもの存在を忌々しく思っていることや、ほめ言葉のかけらももらえなくても、心のそこでは子どものことを思ってくれていることを読み取ることはできる。
母は後者だった。でもガンガン言われているときはやっぱり思いっきりいやな気分にさせられるので、家の外で大泣きをし...た後、空を見つめながら心の中で神様に訊くのだった。
「私はそんなに悪い子ですか?」
もちろん、応えなど響いては来ないのだけれど、神様に叫ぶだけで、心は楽になって、母がいる家に入ることができた。
いつしか私は母の言うことに何でも素直に従う、ということはしないけれども、母が言うことには、そういわざるをえない理由があるのだ、というふうに理解するようになった。
母は巷で言われるようにグレートな人であると同時に、子供にとってはすばらしい教育者、とは言えなかったと思うけれども、そういう母に育てられたからこそ、学んだこともたくさんあった。
そういう意味で母はかけがえのないすばらしい存在だし、どのお母さんも、実は子どもにとって多くを学ぶ機会を与えてくれるすばらしい存在なんだ、と私は思う。
昨日も、「私なんかだめな母なんで・・・」というお母さんがいらっしゃったので個人的にこうお話した。
「私(佐知子)の母も完璧な母ではなかったけれど、一応私、ちゃんとこの社会で生きれているし・・・。
あなたのお母さんも完璧なお母さんだったわけじゃないでしょう?でもあなたは立派な社会人になっている。
完璧なお母さんでなくても、いやむしろ完璧でないお母さんの方が子どもは育つのじゃない? 子どもはどんなことからでも学ぶことできる人たちだからね」
その方はにっこりされた。
子どもに学びの種をいっぱい蒔くことができる不完全なお母さんこそ、「完璧な母」と呼んでもいいのかもしれない。
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