教会ではミサのあと、新年会が催された。
「京都で一番遅い新年会かも?」なんて司会の方がおっしゃりながらも、新しい年を迎えた、ということをもう一度思い出し、新鮮な気持ちにさせてもらえたことは、とても良かったと思う。
毎年この席で新成人のお祝いもするのだけれども、5人の新成人たちはいずれも出席できず、おばあちゃんやお母さんたちが代わりに成人のお祝いの聖書をいただくという、とっても寂しい瞬間もあった。
これが現状を端的に表していることは否めない。おばあちゃんおじいちゃんたちは戦後からずっと教会に通い、中心メンバーとして活躍してきたが、子どもたちの世代はぼちぼち教会に顔を出せても、孫世代は十代になれば、すっかり足が遠のいてしまっている。
私たちが子どもの頃は土曜は午前の学校が終われば、皆教会に集まって土曜学校(教会学校)に参加して、ついでにお知らせの印刷のお手伝いやトイレの掃除をして帰...っていた。
日曜ももちろん空いているから、一日中教会で遊んでいたようなものだった。
でも今の子どもたちは全く違う土日を送っている。今日も多くの子どもたちが英検に参加していたし、地域のスポーツクラブに参加している子、うちの子どものように、習い事(バレエ)に行っている子どもも少なくない。何でももっともっとやらなくてはならないので、一番教会という場が最後列になって、足が遠のくのだ。
教会に集まれないことは教会自体のパワーを弱らしていることは明らかだけれども、そういう世に生きているときこそ、子どもたちにしっかりと神様の心を伝えたいと思う。
今日もバスの中でA(10) と話した。
「誰でも、自分の意見が良い、正しいと思っているし、皆にそう認められたいと願うものだけれども、いつも自分の考えだけにこだわらず、人の意見や思いに耳を傾けようね。
そうして、今本当に必要なものは何か、皆で見つけていくのよ」