今日は聖書深読会
ルカ4章21~30節までを呼んで、ノートに書き写し、そのノートを見ながら、いろいろとみ言葉を思い巡らして、心に留まる一言、を見つけます。
今日は「理解」 人間同士も神様と人間の間にも、双方向の理解がものすごく大切、と思ったのです。
理解とは一方的なものではないのですね。親が子どものこと分かっていると思えていることは、子どもも自分のことを分かってくれている親と感じているはずです。
双方向からの波が合わさったとき、理解(受け入れ)が生まれる。そこには上も下もない。
私と神様という方の存在も同じような感じ。
神様は私の願いを一方的に受けて、それを実現しなければとされるわけでもなく、私も自分を持たずに言いなりになっているわけでもない。
...神様が私に望んでおられることは具体的にいつも分かっているわけではないけれども、それは生きている私にふさわしいことである、と私は思えるし、また私の日常の中に必ずメッセージを盛り込んでくださっているので、分からない、と不安になることもない。
自由にいったりきたりできる意思表明できる環境の中でこそ、理解が深まっていくのではないかな、と思いました。