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2003年08月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨夜、「雨乞い屋さん」のところで、「大地の子」で「熱く」なってしまった。(どんな中身かは「雨乞い屋さん」のHPのBBSを見てください。ちょち恥ずかしい・・・)
そんな興奮でよく寝付けなかった。
そこで「雨乞い屋さん」のリクエストで「司馬遼太郎」についてちょっと書いてみます。

俺に読書の楽しみを教えてくれた「恩人」は「講談社版 少年少女世界名作全集」「偕成社版 世界偉人伝」「五木寛之」「井上ひさし」「池波正太郎」そして「司馬遼太郎」だ。

今、手元に昭和三十八年七月十日第一刷 昭和四十三年二月二十五日第三十九刷 定価四百八十円の「竜馬がいく 立志編」がある。俺が中学生のときの本だ。「竜馬がいく」はNHK大河ドラマにもなった。当時のベストセラーだ。

「竜馬がゆく」を本格的に読んだのはたぶん高校1年生のときだったと思う。「咬まれた」一気に通読した。ここから俺の「司馬遼太郎遍歴」が始まった。幸い親父の本棚には「司馬遼」がほとんどそろっていた。
順番は忘れたが「峠」「国取り物語」「坂の上の雲」「世に棲む日々」「翔ぶが如く」「人斬り以蔵」「義経」・・・・・大学生になってもこっそり読んだ。

俺の学生時代は「学生運動=内ゲバ」時代。学生政治屋がキャンパスを闊歩していた時代、
まして俺の入った大学は今では「都のセイヨク・・」「バカ田大学」。当時は革XX派の牙城。学生会館でバールで頭を勝ち割られるやつがいた。

アパートでひっそりと、隠れるようにして読んだ。池波正太郎もそうちょうどこんな時期に出会った。田舎者の気取り、かっこ付けからベストセラーなんぞ読んでるとはいえなかった。


司馬遼太郎は「漢の志」を描いた作家だと思う。時代の中でその時代の「志」とは何だと問いかけつつ「人物」を描いた。それは第二次大戦で「価値観の喪失」を経験した、人々に「日本人」は捨てたもんじゃないよ。「中世」「戦国時代」近くは「明治維新」にはこんな人が「国を思う志」があったんだよ。ちょうど今で言えば「プロジェクトX」みたいなことだったような気がする。「あんたらの爺さん、親父の中には偉いやつも居たんだよ、自信を持とうよ」と知的レベルをあげて訴えた。
まさに学校で教えない「歴史書」だった。そこそこ心ある人はいかれた。俺もだ。

ブームが起きると有象無象の「信者」が生じる。無批判に「帰依」する輩だ。社会人になってからだがある時、ちょうど今ぐらいの時期「日経新聞」に「経営者がこの夏休みに読む本」だったか「愛読書特集」のような記事があった。「司馬遼」の小説が多いことに、「なんか変」と違和感を持った。もっとがっかりしたのは「政治家」の尊敬する人物と愛読書で「坂本竜馬」「司馬遼太郎の作品(竜馬がゆく)」が異様に多かったことだ。「凡人総理小渕恵三」もそんな一人。俺の竜馬を汚すなという気持ちと、政治家が皆「竜馬」でどうすんの、「にせ竜馬」「似非竜馬」「勘違い竜馬」・・・・・作品中の竜馬はそんなことは考えなかったろう「しっかりしてくれぜよ」。という気持ちだった。
そんなことから「司馬ファン」であることをいつの間にか控えるようになった。経営者や政治屋の「精神安定剤」になったのではないかと考えたからだ。

晩年司馬遼太郎は小説を書かなくなった「エッセイ」「街道をゆく」「この国のかたち」は「日本に対する慙愧の念」に溢れているような気がする。いちばん「違和感」を覚えたのは彼自身かもしれない。
昨年東大阪の「司馬遼太郎記念館」を訪れたとき、彼が小学生か中学生の教科書に求めに応じて書いた文章があった。ひどく感動した。

でも、その文章が何処に書いてあるか忘れた・・・「ほでなす」だ。
(書き慣れなくて疲れちゃいました。続きはまたそのうちね・・・・・)





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最終更新日  2003年08月01日 10時21分04秒
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