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日本の夏は決して「○○の夏」という蚊取り線香屋さんばかりではない。
熱狂的ファンのいる「高校野球甲子園夏大会」もなつの風物詩だ。 トトカルチョ、野球賭博ということではなく、純粋に「郷土」「母校」の試合に一喜一憂するのは喩えようの無い楽しみではある。 しかし、俺の中では「夏の甲子園」は「太田幸司」の夏と共に終わった気がする。 延長18回そして再試合一人のピッチャーが投げぬく試合はあれから二度とない。 高校生の将来性と体力。規則は正解だ。 そんなことではなく、「東北の名も無き公立高校」が始めて優勝旗を「白河の関」を越えさせてくれるかという期待感はあのときが最高調だった。(俺にとっては。) まー、いわき高校田村投手もいいけど。 仙台育英「大越投手」のときはまったく感動なし、「当たり前」の境地ね。 ヒーローに付きまとう「悲劇性」「やり切れなさ」がないと「甲子園」じゃない。 「甲子園」は夏も春も「郷土愛」が付きまとう。 「郷土愛」なら可愛いけど「愛国心」になると可愛くない。 それがにおうと「甲子園」も「きな臭くなる」現役の首相に「始球式」は無いだろう。 作為を感じる。「広島の市民の声」を欠席しておいて「始球式」は無いよな。 日本の夏は「平和」も考えさせるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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