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ショックな出来事
これは、ちょうど一年前にこのブログに書いた日記。その後数日間、立ち直るまで日記を書くことはできなかった。 今年もお誕生日に向けてのイーカードを送ろうと準備をしていたら、一本の電話。 「今、日本にいる。今は京都。明日の夕方そちらに入るから、夕方4時過ぎに職場にいる?」 え”!?日本にいる?大丈夫なの?飛行機に乗れるの? 想像では、残り少ない自分の誕生日に向けて、来れるうちに会える人に会っておくのかな?現在USAの大学で働いているから、夏休みでもなく学期中。そんな中わざわざ来たんだ。 宣告を受けてから、ショックの為に内にこもって、一切の外部とのつながりを絶った。それが、ようやく外へ向けて発信できるようになったのは喜ばしい。 4時過ぎに待っていたけど、外は大嵐の雨風。そんな中で電話がなった。 「今は大学の正門前。恩師に会ってきた。この酷い雨だけど、傘が無いからどうする?」 そう言われても、私も出かけられない。なので、明日の朝と言う事になった。 その後、日本語教室に行ったけど、新規に受け持つ筈の中国人2名は来なかった。やはりあの寒さ、あの天気では来ない生徒は多かった。 朝、10時半頃にやってきました。思ったよりも元気そう。顔も少し丸くなり、ガッシリした感じになっていたけど、化学療法の副作用の為に浮腫んでいるんだそう。 初めて宣告を受けたときは、肺の腫瘍は3cmを超え、肝臓にも転移していて余命4年と言われた。でも、別の医者にはもう少しあると言ってくれた。今は脊髄への転移もあると言う。「じゃ、痛い?」と聞いたら、ウンウンとうなずいた。 とにかく、風邪をひいたらその時点で命取りだから、かなり風邪には気を使っているとのこと。 ごめん、先週の風邪、イマイチ完治していない私。少し距離を置いて話す。 短い話の中で、グーグルに名前を入れるとダダーとヒットすると言っていたので、帰ってから検索してみたら440件ヒット。いつの間にやら助教授に昇進してた。30以上の学術論文を書いていることも確認。 私は、最初の告知の段階に話を聞いていたから、今となっては悲しいけどショックは少ない。だけど、今回のあいさつ回りで初めて知った人もいる。その人はショックを受け、泣かれてしまったと言っていた。知っている私でさえ泣けてくるのに、心臓が飛び出るほどの衝撃を受けたと思われる。 何でこんなにいい人が、こんなに頑張っている人が、こんな病気にならなきゃいけないんだろう。 腫瘍はカルチノイド腫。増殖はゆっくり。普通聞くタイプの腫瘍だったら、30代半ばでは、3ヶ月から6ヶ月。1年以上なんて持たないだろう。 今回確認した事は、この地元に居た時には既に発症していたのでは?の問い「多分・・・。」でも、毎年レントゲンで検診を受けていたんだよ。という返事。想像では、その当時にゆっくり増殖する腫瘍は1cmを超えていたはず。何で見つけられなかったんだろう?その時に見つけて手術していれば完治したのに。私の知っている限り、その頃から咳はしていた。当然レントゲンには映るはず。意味のないレントゲンを撮っていたか、外国人だらか適当に、見ていたか、単なるヤブ医者か。あ、どこの病院で検診を受けていたか聞かなかった・・・。 泣くつもりは無かったけど、やはり泣いてしまいました。お客さんを待たせたまま泣いてしまいました。 帰り際に言った言葉は、 「私はまだ死んでないよ。だから泣かないでね。」 ネットで調べたら、転移性であっても10年~15年の生存も珍しくない。 この珍しくない部類に入って、せめて40代半ば以上まで生きて欲しい。できたらもっと、50代、60代と生きて欲しい。 長々と書いて間もなく終了というときに、改ページに指があたり、すっかり消えてしまました。これが2度目。最初に書いたものよりも冷静に書けてます。最初に書いたのは消えて良かったのかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/10/25 03:24:49 PM
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