カテゴリ:仏法
最近は、テーラワーダ仏教の文献を読むようになり、お釈迦様が実際に、私たちにどのようなことを伝えたかったのかを、少しずつ知るようになりました。
以前の私は、仏教とくに形骸化された大乗仏教系のあり方に対して、強い不信感を持っていたため、その上っ面だけをながめ、お釈迦様が本当はどのようなことを説いておられたかについて見向きもしなかった自分を省み、それではいけないと感じるようになりました。 仏教にしても宗教と名のつくものは、分派する傾向があり、教えの本質がつねに歪められる可能性があります。 私の場合、特別な宗教に入信するとかという気もありませんが、自然・人間界の幸せを増進させる本当の教えについては、自然に心が惹かれます。 また職業柄、心と身体の病について考えたり、そのような問題や違和感・ストレスがある状態から抜け出す道をつねに模索する必要性のなかにいつもあります。 そんな中で、やはり求められる方法論とうまくいく実践という意味で、貪(異常な貪り)・瞋(異常な怒り)・痴(無知)から脱し、人間として人格を完成するという具体的な目的やあり方を示すお釈迦様の本来の教えは、その用件をすべて満たしていると思うようになりました。 少しずつですが、本来の仏教が、私たちに何を教え伝えようとしているのかが明確になるにつれ、お釈迦様が、この現実においても幸せに生きるための概念や方法論、そして自ら身体的な死のときまであり方の模範を示された姿に、感動が沸き上がってきます。 そして、お釈迦様に、少しずつでも、今の自分ができる範囲が限られたものであったとしても、近づいていきたいという思いが自然に起こります。 また、お釈迦様が何を実際に行ったかを見ると・・・ 2500年前に、サンガという悟りを求める集団のなかで、何か問題があったときに、上下の関係に関わらず、全員一致の見解が得られまで、徹底的に問題と向き合うという“完全な民主主義”を実現されていた事実は、現代において、その土台や根本的な方針を検討し、それらの考えを満遍なく抽出し、活用していくことは道理にかなった方法であると思います。 お釈迦様の存命中、インドはカースト制度という強烈なしばりがありました。 それにも拘わらず、このようなあり方が実現できたのは、各国の国王からも尊敬を集めていたことが伺えます。 その他、テーラワーダ仏教では、仏像などを礼拝すること自体を禁止していたことや、様々な次元で神と崇められている存在からも、仏陀は尊敬されていたことにより、あえてそのような神々に対して仏教では、人間と同じように尊重するだけであり、あえて崇拝することをしなかったということも知りました。 そのほか、現在、さまざまな心理的な病に苦しまれている方が増えてきていますが、そのような精神状態から抜け出すための緻密な方法論も備わっているため、個人的に、本当に学ぶ価値のある教えであると感じています。 また、最近、発見したおもしろいこととして・・・ 仏教の四聖諦(シショウタイ)の原理が、現在の品質管理システムと類似し、無意識であるかもしれませんが、実際に活用されていることです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6 ******************************* PDCAサイクルとの関連性 [編集] 上記のとおり、四諦は本来仏教用語であるが、現在の生産管理や品質管理で採用される手法であるPDCAサイクルとの類似性が指摘されている。PDCAサイクルはISO 14001で標準化されている。[2] 対応関係は下記のとおりである。 滅諦:計画(Plan) 道諦:実行(Do) 苦諦:評価(Check) 集諦:改善(Act) 脚注 [編集] 「諦」は通常「諦(あきら)める」と読み、仕方がないと断念したり、思い切ってその(良くない)状態を受け入れたりする、という否定的な意味あいで使われるが、本来の意味は「あきらか」「つまびらかにする」である。 ******************************* なにはともあれ、相対的な次元、物質的な次元のなか、あるいは自然・法の中で、つねに問題を抱えている私たちは、幸せに生きるための正確で間違いのない指標を必要としているのではないかと、個人的に考えています。 仏教が宗教であるため、人によっては拒絶反応を示される方もみえるとは思います。 でも、お釈迦様が実際に説いた教えを改めて見直すことにより、本当の意味での幸せへの道を提供しているあり方は、私たちに最上級のモデルを提供してくれているのではないかと思います♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.06.26 14:56:21
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