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カテゴリ:Soliloquy
たまたま遊びにきていた実母と一緒に見ていたTVで、オランダの同性愛者の結婚が法的に認められていること、それで一番同性愛者カップルが多い国であることが言われていた。
母も「そうよね~。同性愛者だからって差別して結婚できないのはおかしいよね。」とか言いながら二人でそのTVを微笑ましく見ていたのだけれど・・・。 突然、「でも、自分の子供がそうだったらイヤだ。」と母がポツリと言った。 確かにわかる、親の気持ち。 でも、こんなに多様化している時代に、その発言はちょっと時代遅れだと思った。 同性愛も世界で認められつつある時代、性同一性障害にも研究が進む時代。 夫がたまたま性の研究をしていることもあって、遺伝子レベルでの変異など話すことも多いし、そういう科学的な特集番組を一緒に見ることもある。 だから、あまり、そういう人と出会っても違和感はない。 それがその人の個性だから。 日本では何かと、男性だから、とか、女性だから、とかジェンダーに関して線引きしているふしがある。 今の時代、そんな線引き無用なのではないか。 最近読んだ本、東野圭吾の「片想い」。 単なる恋愛物だと思ったら大間違い。 学生時代のアメフト部の仲間が突然まきこまれたある事件。 過ぎ去った青春の日々を裏切るまいとする仲間たちを描くミステリー展開でありながら、その裏では、性同一性障害で苦悩する人間の姿やスポーツにおけるジェンダーの問題、半陰陽、性転換、去勢、社会的な認識や戸籍など法律に関わる問題などさまさまなケースを描いている。 そして、人生にはいつも、理解してくれない反対側へさまざまなかたちの片想いがあふれていることを教えてくれる。 本の中で、「私は性同一性障害という病気は存在しないと考えています。治療すべきは、少数派を排除しようとする社会のほうなんです」という言葉があったようにこれだけ多様化している時代、変わるべきは私たちの方だと再認識させてくれた。 海と光が将来、同性の恋人を連れてきたら?なんて想像してしまったけれど、ジェンダーなんて関係ないって思わせてくれるようなさわやかな余韻が残る本。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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