カテゴリ:マンガ
長らく続いたジェニーシリーズ完結巻。
某密林のレビューでえらく批判されてたのでどんなもんかと思ってたら、全然キレイに物語を収めていたので安心しました。 物語の寿命、あるいは様式美、作者の良心、まぁいろいろ言い方はありますが。 終わらないセ○クスが無いように、終わらない物語など、ない。あるいは、あってはいけない、という事。 物語は起承転結を要求するし、広げた風呂敷をどうキレイに畳むかが作者の腕の見せ処。 このジェニーシリーズで言うなら、優秀な人材を拡大再生産する存在としての、女性を主人公に据えた物語だったと言う事。 ちなみにこの、産む性としての女性の圧倒的優位性、ひいてはその魔物性というのを作品化したのは松本零士以来だと思ってる。 “母”の慈しみ、包容力、安心感、そういった面の裏側てか裏返しの母性としての、残酷さ、残虐さ、女は単体でも繁殖できるが(蜜蜂とか。理論上では人間も処女受胎が可能らしい)男は女がいなければ果てるしかない、 か弱く、奪われるだけの存在であるはずの女性が実は、生殺与奪の力を持つ残酷な存在であるという事、 松本零士はかなり自覚的にその辺を作品化してみせている。 妊娠も出産も死も物語の要請に素直に従った結果なのだから、読者としては大変腑に落ちるもので。 本人にとっての悲劇とかハプニングとか、そんなの物語の圧力に比べたら瑣末な事なんです。 アンキャロラインの死はインセストタブーを冒したものとしての当然の罰。 それでも出産したのは、ナシオナルとスミスの血を受け継いだ正当なスミス家の後継ぎを遺すため。 生まれが複雑なのは、ナシオナルの因果応報。かつて自分がやった事をされただけ。 あのまま王家が続くと、関係無い家の王位継承者になってしまうから、王権が倒れたのも実に良いタイミングだった。 アーサーJr.の誕生は、アルバドラの後継ぎとして絶対に必要だから。 アーサー王子の死は、Jr.をアルバドラ公爵にするために必要、生きてたら、結婚騒動→王位継承権が発生してしまう。 アルバドラとスミスの後継ぎがいないと、音楽家とムスリム体制の未来の指導者になるはずの上の息子たちの未来の障害になる。 音楽家はジェニーの“本当になりたかった私”だし、ブライアンの忘れ形見として、彼女の才能のひとつの発露として残していくべき。 もう一人の僕ちゃんは心臓が悪いから、軍人としては失格→その分指揮官としての優秀な頭脳と、それを活かす場を与えられた。 もちろん大方の予想通り、まだまだ続きは描けるだろうし、きっと描いていくでしょうが、ラブストーリーとしてのツーリングエクスプレスが、二人が結ばれたところで一旦終わったのと同様、 決着がついた物語に幕をひくというのはストーリーテラーとして大変正しい姿だと思われ。 折り目正しいというか、筋を通すというか、大事な事だと思うわけで。 そう考えると、“君に届”いたにも拘わらずまだ続いてるマンガとか、 究極と至高の対決が一段階した上に親子喧嘩も収束してなお続いてる某グルメマンガなんかは、 全く物語として奇形なものと言わざるを得ない。 里一番の忍者になるんだってばよとか言ってるマンガも、そろそろ危ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年01月17日 17時38分05秒
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