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いつか全て捨てようと思って暮らしてます

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2014年10月15日
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カテゴリ:ドラマ
面白かった。

1964年の東京オリンピック招致レースのため、南米のIOC委員へのロビー活動を一手に引き受けた、日系二世のアメリカ人、フレッド和田勇の活躍を描いたもの。

始まりは戦後すぐ(1949年)ロサンゼルスで行われた全米水泳選手権大会。日本の選手も出場出来る事になったが、アメリカのホテルが日本人の宿泊を拒否。

それを自宅で引き受けたのが、実業家でお金持ちのフレッド和田。

日の丸背負ってやってきた選手たちに、大会側は「レースに出たいなら日の丸外しな」宣言。

選手は屈辱の中、世界記録を叩き出し、会場には日の丸がはためき、君が代が流れる。

この間の中国の体操世界選手権みたいに君が代が途中で切れることもなく、それ以来新聞も「ジャップ」表記を止め、「ジャパニーズ」と書くように。

アメリカ得意の掌返しを目の当たりにして、「スポーツの力って凄い!!」と感動したフレッド和田、

当時は半分夢物語だった東京オリンピックのために、私財をなげうって尽力することになる。

革命直後のキューバに行って、アメリカのスパイと間違えられてボコられたり、ブラジルに行った時、現地の日本人移民に「俺達がどれだけ苦労してきたか」言われて「僕たちだって大変でした!」と戦時中の苦労話して泣かせたり、疲労で倒れたり、まさに映画化決定な苦労の果てに、東京オリンピック招致が成功する。

一度目の立候補で、圧倒的な票数獲得だった。

勿論その影には、戦前予定されていた「幻の東京オリンピック」の頃から活動していた日本水泳連盟会長の田畑政治や、

日本人初のIOC委員でもある柔道家、嘉納治五郎の最期十一日間を共に過ごした元外交官平沢和重のスピーチなど、たくさんの関係者の尽力がある。


フジテレビがこんな素晴らしいドラマを作るなんて。どうしたんだろう一体?

見終わった後、「そういえば、“不適切な表現がありますが勘弁してね”ってテロップ出てたけど、何だったんだろうね?“ジャップ”かな?」と聞いたらだーりんが、

「いや、多分日の丸と君が代だろ(笑)。」






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最終更新日  2014年10月22日 13時19分16秒
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