「夢の扉」をノックしろ!
恒例となった、真夏のジャズフェスティバル!彼らと出会ったのは、数年前のフランチレストラン。小さなそのレストランでは、3か月に一度、ジャズオーケストラのライブが行われていた。本格的ジャズ・オーケストラのメンバーは、まさに所狭しと勢ぞろい・・・。席とステージの境などあるはずも無く、ただ それがまたいいところでもアル。ベースの低音と、サックスの心地いい音と、ピアノのリズムカルな調べ。ドラムスのバチさばき・・・。そして、なんといっても バンドマスターのトランペット!!!オイラは、いっぺんに このジャズオーケストラの虜となったのぢゃった。(実は、このとき、「戦慄の再会」が待っていた!でアルが、それはまた別の機会に・・・。)1990年、県内のアマチュアミュージシャンを中心として結成された本格的なジャズオーケストラ・・・その名を「スゥインギン・ワンダーランド・ジャズ・オーケストラ」・・・「SWJO」という。香川のジャズ文化向上と、次世代への継承を趣旨として、県内での活動は勿論、’95年のハーレムの「WELL’S」、96年には、ジャズの本拠地N.Y.の「SWEET BASIL」、そして’01年1月には、かの「N.Y.BLUE NOTE」(・・・あの!N.Y.ブルーノートでアル!)に出演しているんぢゃよぉ~!N.Y.のブルーノートといえば、世界中のジャズメンたちの憧れの聖地ぢゃが~。プロでもナカナカ、ステージには立てない、という。そんな審査の厳しいステージに、彼らは なんと、アマチュアでは世界初!の快挙、夜のステージに立ったのでアルその後もフランスツアーに出向いたり、と まさに国内外で非常に高い評価を得ている。そんな中、第一級のミュージシャンと共演を重ねていき、研鑽を重ねていったようなのぢゃ。悲しきかな?アマチュア・バンド。初めは、フレンチレストランの片隅で、あるいは市民対象のイベントで、またある時は町の夏祭りのステージで・・・。演奏できるところなら、とドコまでも行き、キャリアと経験を積んできた。そんな、アマチュバンドのライブが、少しずつ、そして少しずつ。大きなホールでイベントを開催できるようになっていく・・・。 そんなある日・・・SWJOと、ステージに立っていたのはな・な・なんとっ!!!79歳、今年80歳になる今も、現役で世界中のステージに立ち、鋭く、そして軽やかに鍵盤を叩く・・・まさにジャズの女王さま。日本が世界に誇るジャズピアニスト「秋吉 敏子」さん、その人ぢゃった秋吉 敏子さんといえば、日本人では初めてアメリカのジャズ界で、「ジャズの殿堂入り」を果たした、まさにビッグ・ミュージシャンでアル。まさに、世界中を忙しく 飛び回っている、ジャズ界の第一人者であり、そしてまた失礼ながら、かなり高齢になっている彼女が、以降 年に数回 高松にやってくるんぢゃ~。現在 ニューヨーク在住の秋吉 敏子氏。夫であり、卓越したテナーサックス・フルート奏者である、ルー・タバキン氏と、何故ゆえ、こんな四国の片田舎に通ってくれるのか・・・。答えは、明快ぢゃ。「SWJO」の為でアル!そんな、秋吉 敏子氏とのセッションライブは、毎年 回を重ねるごとに絶賛の嵐が巻き起こる。そして。そんな、キセキの重なりが、より 彼らの夢に拍車をかけていく・・・。2005年から2006年にかけてのカウント・ライブを、彼らはなんとっ!アメリカ「リンカーンセンター」においての、アマチュア「世界初」公演を果たしたのぢゃ~!・・・いち地方の、アマチュアバンドが、ですよ・・・。ココまで、こんなふうに煌めく「夢の実現」を成したのは、何か!それこそが・・・「SWJO」のバンドマスターの「情熱」であり、楽しみながら、信じてついていったメンバーの一人ひとりの「ジャズにかける一途な想い」なのでアル。メンバーは、ひとりひとり、それぞれに仕事を持つ、あくまでも アマチュアたちである。その、いち地方のアマチュア・ジャズ・オーケストラが、何故 こんな超!セレブな一流ミュージシャンたちと、煌めくステージで共演を楽しめるのぢゃろうそれは!躊躇せずに、「夢の扉」をノックする・・・その勇気を持って行動していったから、なのぢゃよ!バンドマスターである、関元直登氏、その人は会えばきっと誰もがその人柄に、すぐにファンとなるぢゃろう・・・。演奏の合間の彼の話しも、ユーモアのセンスと、それでいてジャズの素晴らしさや、時には曲に隠されたエピソードなどを盛り込み、音楽を楽しむためのエッセンスを忘れない。そんな、楽しくエキサイティングなステージそのままに、彼は「行動」を繰り返してきたのぢゃろう。「秋吉敏子」氏といえば、きっとコンタクトをとるだけでも、専属事務所やら、マネージャーやら、と きっとめまいのしそうな沢山の煩わしい経緯を経て、やっと担当者に用件を話して・・・結局 門前払い、というのがオチぢゃ。それなのに!バンドマスターの彼は、誰もが敬遠するであろう、一番奥の「扉」を、元気よく直接ノックしたのぢゃ・・・。自分たちが、ジャズを通して、何を伝えよう、としているのか、を 言うために。そんな、無謀な?勇気に、「侍(サムライ)」を見たのだろうか・・・。いつからか、年に何回か、「SWJO」のステージに、秋吉 敏子氏が ルー・タバキン氏とともに、ニューヨークから駆けつける。そして・・・!2010年には、ケープタウンで、2011年には、世界的ジャズフェスティバル「モントルージャズフェスティバル」を、今回の「サンポートジャズフェスティバル」として、スイスより招聘する夢に向かって驀進中ぢゃ~。なんと、そのときに迎えるのは・・・!かの全米一の名を誇る名プロデューサー・「クインシージョーンズ」なのでアル!おぅ~、のぉぅぅぅ~。ココまでくれば、オイラの手の届かないホドに、凄いことになっているではないか~。コツコツと、ひとつのことをやり続ける。それは単純でいて、しかし実は、かなり 難しいことである。でも、その信念を貫く勇気さえあれば、どんな重い扉だって、ノックしてしまえるのではないのか?熱き、ジャズメンの彼らの情熱がそうしたように・・・。「夢の扉」・・・誰もが、ソコの前に立っている。チャンスのカギを握るキーマンである、その人たちも・・・実は、扉の向こうで、その瞬間を、今か今かと待っているのかも知れない・・・。 「SWJO」の、夢に近づく一歩・一歩を見ていると、そんな 大切なナニカを教えられる。世界のビッグステージに立とうとも、彼らの基本は、夏祭りのステージで演奏していたときと何ら変わらない。彼は言う。 ・・・「ジャズでスゥィングすれば、みんな「はっぴ~」になれるやん!」音楽が紡ぐ、世界との和!日本一小さな県から、世界をジャズでスゥィングさせちゃおう!と目論む彼ら。オイラは、眩しく見ながら、彼らを県民の誇り、と信じて疑わない。 「SWJO」 「秋吉 敏子」おぅ!思わず、熱く語っちまったぃ。兎に角、だ。オイラには、身近にこんな手本としたい、素晴らしき人たちが沢山いるんぢゃ。負けずに、オイラもしっかりと、「ナニカ」をやり遂げたい、と奮起するのであ~る!さ!次に、君は何の扉をノックする・・・ぢゃ、また!