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カテゴリ:愛すべきものすべてに
新年が明けて早5日となりましたが・・
年末から年始にかけて わたしはまたひとつ 大きな区切りを迎えることができました。 遠い過去から 抱え続けてしまったもの その大掃除をするチャンスを 想いも掛けずに頂いて それはそれは 高校に入る前からの長い長い話なのですが・・(笑) 辛い 苦しい こんな境遇になったのは 誰のせい? そんな世界を ずっと引きずって 自分の中にある 眼を逸らしたくなる部分を すべて、あの頃のトラウマだと 思い込むことで 変われるはずの自分を 変えずに生きてきて そんなときの自分を その当時は見えていなかったことが 時間の経過とともに みえるようになって わだかまりとして 心の深いところに いつまでもくすぶっていたものを ようやく手放すことができる機会を 頂けたということです。 30年近い歳月をかけて 少しずつみえるようになってきたものなのです こころのしくみも 本当のことも なにも自覚がなくても 時間をかけて 自然と浄化されるものがあることも ある意味事実でしょう。 けれども自覚をもっていれば 確実に浄化のスピードは格段に早くなる。 見聞きするもの、 触れるもの その全ては道標。 それらを注意深く感じて、 そのまま前に進めばいい。 いま、どんな自分でいたとしても、 見捨てられることはない。 いつでもどんなところにいても 辛抱強く信じて見守る眼があることを 自分は、ようやく はっきりと自覚することができたのです。 唯一自分が見捨てられることがあるとしたら、 それは自分自身が辛抱出来ずに、 自分で自分を見限るとき。 こころの眼を開いてみよう。 そうすると・・ 閉ざされた部屋の窓を開けるように、 光が差し込んでくる。 眼の前の手の届くところに在るのに 気付くことができないでいたものを、 しっかりと手にとって はっきりと観ることができる。 しっかりと守られていること。 そして 直接的ではないけれど、進むべき方へ導こうと、 合図やサインを送ってくれているものがあること。 それは、まるで偉大なる父親のように。 だれも皆に 等しく その人だけに与えられた 果たすべき役割がある その役割を果たさぬまま なにか別のものに こころを奪われたり 途中で投げ出してしまったり そんなことをしないよう・・ しっかりと見守りながら 進むべき道を 教えてくれる 道標がいつもあることを しっかりと こころの眼を開いて しっかりと感じてみよう たとえ、どんな境遇に見舞われても それがどんなに耐え難いことだったとしても 自分の後に続くものに 自らが道標となることができたなら それが 自分の果たすべき 役割だったのかもしれないことに 気づくだろう。 自分は いつも守られていたことを 眼を閉じたままでいた自分は それに、気づかなかったことを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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