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カテゴリ:こころの浄化
子供のころ
毎日のように夫婦喧嘩を繰り返す親たちに・・ 思い通りにならないと 感情をむき出しにして、 包丁を振り回す母親に・・ 心の置き場所のない 家族の中で育ち 随分と長い間・・ そのことを恨みつづけていたけれど・・ コンプレックスを抱えたり 挫折感を味わうときに 自分の人生がうまくいかないのは 親に愛されなかったからだとか 親があの時・・○○してくれなかったからだとか 都合の悪いことが起きると 誰か他のひとのせいにして 自分の人生から 逃げてばかりいた時期もあったけれど・・ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 無力な子供は、親や周囲の大人に 育ててもらわなければ 一人では生きてゆけない時期がある だから、親や育ててくれた人には 感謝しなくてはいけない そういう価値観を持っていることも多いだろう そう信じている人も多いだろう そのこと自体に異論を唱えるつもりはない。 でもその一方で、自分自身の力もたしかにあることを 見落としてはいないだろうか? それは、決して育ててくれた親や大人達の恩に対して 否定するということではなく、 親や大人達の支えにも感謝しつつ 自分の足で立ち、自分の力でも 前に進んできたことも事実だということ。 親に反発し憎みながら育ってきた俺が、 自分が子供を授かり、 親になってから初めて感じた感情。 ありきたりの 上っ面な理屈抜きに、 どんなに子供のことを愛おしく、 大事に想っていても、 親が子供にたいして、 やってあげられることの限界を思い知る。 子供が風邪をひいて 苦しんでいるような そんな日常茶飯事のことですら、 子供の身代わりになってやることさえできない。 我が子たちは次男も長男も 大病や事故で長期入院した時も、 親である自分が 彼らにしてあげることができたのは、 病院に連れていって 看病してあげたことくらい。 最後は幼いながらも、 苦痛に耐えて頑張った 彼らの自力がものをいうのだと 思い知らされた。 それと同時に、 自分が子供の頃に抱き続けてきた、 自分の親や周りの大人たちを責める感情も 自然と薄れてきた。 親なのに大人なのに 何で?わかってくれないのだろう。 何もしてくれないのだろうと、 怨む気持ちや 憎しみの感情を抱えつつ生きてきたけど、 自分の親や周りの大人達もまた いろいろな意味の限界を抱えながら、 俺を育ててくれていたことを・・ 自分は自分自身の力と 親の支えと、 その両輪をまわしながら その両方の力で 成長してきたのだと・・・ 単純な価値観だけで感謝するのではなく、 期待や要求が満たされないことへの恨み言だけでなく、 自力だけ 他力だけ そのどちらか一方だけではなく、 そのバランスの中で誰もが生きている。 自分だけを信じて生きるのではなく。 人だけを信じて生きるのではなく・・ そして、もうひとつ 自分が受け取ってきたものを 支えてもらいながら生きてきたことを どんなに幼くても どんなに未熟でも だれにでも、自力で生きる力があることを 自分の子供たち あるいは、次の世代を担う後輩達に しっかりと伝えてゆくことが 自分の過去を浄化することになり 生きた証を残すことなるのだと感じている 親を恨んでばかりいた俺だけど 自分の親も幼い頃に 今までの自分と同じような想いを抱えて 育ってきたことを 感じることができたから・・ 自分のこころを 浄化することは 次の世代にも渡すことができるし 自分の前の世代の人たちから続いてきた その連鎖を断ち切ることで 前の世代の人たちの 抱えてしまったものさえも 浄化することさえできるのだろう ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ この話がピンとこない人や 親子関係でいま、悩んでいる人には 是非、この本を読んでいただけると・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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