317886 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シュタイナー関連書籍出版社                イザラ書房編集室だより

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

カタリナnote

カタリナnote

Freepage List

Category

2006/10/30
XML
◇◆心の薔薇を咲かせるために~福音書講義を読んで思うこと◇◆


私たちの先生、ルドルフ・シュタイナーの残したテキストを、何度読んでもそれだけ
では不可能だった、祈りと黙想による心の平安、そして精神界からの、奔流のように
ほとばしり、大河のように全身を取り巻き流れ込む愛の恵みを、私は、秘教的でも原
理主義的でも、もちろんカルトでもない伝統的キリスト教会で教えられたのですが
(それは自ら主体性を持って望んだ心と体の圧倒的な体験でした)、
シュタイナーの福音書講義(新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝)が行われ
た20世紀初頭の頃は、ここに述べられているような、程度の悪い、敬虔さも、沈黙の裡
における神との対話もなにもない表層的キリスト者しか周りにいなかったのだろうか
と、いささか暗澹とした気分になります。

ハリウッド映画でも、伝統のある正統キリスト教世界や司祭は、つねに滑稽か、ある
いは強欲な破戒僧のように描かれていることが多いように感じるのは、私の気のせい
でしょうか。
一時期の冨士ヤマ、芸者といったステレオタイプな日本の描き方を連想してしまいます。

シュタイナー生存中のキリスト教会の空気は、淀んでしまっていてどうしようもない
ものだったとしても、伝統的キリスト教世界は第2次大戦後大きく変わったと思います。
1962~5年にかけての第2バチカン公会議での猛反省、ヨハネパウロ2世の登場と過
去2千年にわたるカソリックの過ちの謝罪、マザー・テレサの献身と第3世界での様々
な修道会・キリスト者の献身、そしてカソリック、プロテスタント、東方教会といった
違いを認め合った上でのエキュメニカルな交流と異宗教との対話。
また、すでにアメリカ聖公会では日本から米軍基地を全面撤退すべしという決定を出
しています。
イスラエル-パレスチナ問題にしても、宗教戦争と断定し、
「キリスト教を始めとする1神教は攻撃的でけしからん。その点日本を始め、アジア
の仏教国は仏や神がたくさん共存し、平和を作り出している」等々とおっしゃる識者も
おられるようですが、紛争の現場からの報告を聞きますと、どう見ても理不尽な覇権争
いです。
それにキリスト教は1神教ではありません。
また神の正義を人間が使うことも、御名の下での殺戮も許してはいません。
互いに愛し合いなさいと教えている宗教です。

**

さて、普遍アントロポゾフィー協会本部から今期の年間テーマとして出されている
【心臓思考の発展】。
これは心臓のチャクラを活性化し、愛に貫かれた思考を育成するというものなのですが、
私の周りのごく普通のクリスチャンの、主にすべてをゆだねることからくる心の平和、
そしてそのことにより幼子のようになった心が発する暖かなオーラと、日々の謙虚な祈り
の厚みに比べれば、付け焼き刃のようなものなのではないかと、
時々気が滅入ってしまうのです。

ところで、すべてをゆだねるといってもそれは、狭量なエゴイズムを放棄するという
ことで、理性を放棄し盲目的に自分をなくすことではもちろんありません。

シュタイナーの観ていた、あるいは体験していた精神世界の高みへ向かうためには、
このキリストにおける(あるいは仏教における、または日本の神々における、、、他
諸宗あると思いますが)兄弟姉妹達の、浄化された祈りを堅固な土台として魂に据え
ることがなければ、精神的貧血状態になってしまうように感じるのです。

シュタイナーの教えた新しい形の秘儀参入には(逆向きの秘儀といいますが)、心の
浄化が必要不可欠です。しかし、私はそれを独りではできません。みなの祈りを感じ
つつでなければ精神界へ昇る階梯の途中で足を踏み外してしまいそうです。
そんなことを、
すでに天界にいる、薔薇十字をもつシュタイナーに、ぽつぽつお話しすることが多くな
っているこのごろです・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006/10/31 12:03:25 AM



© Rakuten Group, Inc.
X