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シュタイナー関連書籍出版社                イザラ書房編集室だより

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カタリナnote

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2007/06/24
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カテゴリ:from スタッフ
■■インタビュー■■
 シュタイナーに興味を持ち始める方が、その門をくぐって程なくすると目にする出版社「イザラ書房」。私自身も、その名を聞くたびに、どんな出版社なのだろうという興味を抱き続けていました。イザラという名前も何か神秘的で、謎めいて感じていました。我が家のシュタイナー関連本の中にも、イザラさんの本が何冊も並んでおります。ここ何年かで、シュタイナー教育が広まるにつれ、さまざまな出版社からもシュタイナー関係の本が出ておりますが、シュタイナーのこと、アントロポゾフィーのことを熟知していることにおいては、イザラさんの右に出る出版社はないように思います。
 群馬の会では、今まで、さまざまなご縁で出会った人とのつながりを大事にしながら、緩やかに広がる「らせん」をイメージでして活動をつづけてきました。このほど埼玉の神保原町という群馬との県境に近い場所にイザラ書房さんが移転してきたということで、代表の澁澤浩子さんが私共のフォルメンの会に何度も足を運んでいただき、交流をもつことができました。この機会に今回の特集では、知らなかったイザラ書房さんのあれこれをお聞きしたいと思います。


■■
■■カシオペア
 という「群馬ルドルフシュタイナーハウス会報」2007年5月版に、イザラ書房代表・渋沢浩子へのインタビュー記事が『特集』として掲載されました。
 インタビュアーであり、編集者でもある石原りつこさんに感謝しつつ、2回に分けて、ブログでも紹介してまいります。


1、まずは「イザラ書房の成り立ち、歩み」をお聞きしたいと思います。シュタイナー関係の本を出版されているので、シュタイナーのグループの中から生まれてきたのではと推測していましたが、実際はどうなのでしょうか?

 1969年に創立されたイザラ書房は、もともとは哲学書および美術本や詩集を出している出版社でした。私は18歳のとき(1978年)にイザラ書房の『神智学』『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を友人の書棚に見つけ、シュタイナーという存在を知ったのですが、まさかその出版社に関わるようになるとは当初まったく予想だにしませんでした。当時はC.Gユングに夢中だったのです。

 しかしその数年後『ヨーロッパの闇と光』という小社刊行物の著作者、高橋巌先生同行の「ヨーロッパの闇と光ツアー」が催行されていることを知り、美術上の興味からそれに参加したくシュタイナーの勉強会に行き、高橋先生に出会い、また先生からイザラ書房の創業者のご紹介をうけたのです。当時はシュタイナー関係の書物はそう多くなく、まだまだこれからという時期で、私自身は、1983年ごろ本業の合間にボランティアで手伝ったりしていました。その時は本当に経済的に苦しい出版社で、原稿用紙1枚なくて・・・。一度使ったものを消しゴムで消して使うような有様でした。そうこうするうち自分の仕事が忙しくなったことと「ヨーロッパの闇と光ツアー」が中止になったこともあって、いったんシュタイナーの勉強会ともイザラ書房とも関係が終わりました。

 そして1985年、日本人智学協会が発足したのですけれど、その直前に高橋先生からイザラ書房をサポートして欲しいと頼まれたのです。協会を作るにあたって出版物が必要なのだがそれを出版する出版社がないと。高橋先生の本はイザラ書房からすでに何冊か出ていたので、皆の勉強になるような本が今後イザラ書房から出版できればいいと思うと、そのようなことを言われたのですが、その当時イザラ書房の経営状態が、はた目に見てもわかるほど悪化しているのは明らかだったのです。当時の私と夫の仕事は、全く別ジャンルの仕事で、ハーレクインロマンスの翻訳編集プロダクションだったのですが、非常に忙しい時期で、主人は業界新聞の編集長やら、はてはそこの代表取締役になったり、私は1ヶ月に多い時で6冊位の本を青山のハーレクイン日本支社に納めたりして、めちゃくちゃ大変な時でした。しかし出版のようなリスクがないので経済的にはうまくいっていて資金繰りは潤沢だったのです。ですからイザラ書房において事業的楽観は望めるとは思わなかったのですが、メインの仕事に精神性が感じられず、意義深い出版のお手伝いができればそれは心の幸いと思い、手伝わせていただくことにしました。 

 しかし、当時の創立社長が不渡りをすでに数回出していたことが、イザラ書房の役員になった後でわかり、その後見知らぬ債権者がたくさん出てくる中、社長はついに行方不明になってしまうという状況でした。引き受けるという返事を初めの頃にしてしまったのと私たちが筆頭債権者でもありましたので、片手間どころではなくなってしまったのです。

 いま振り返るととても大変な状況でしたが、私たちがやり続けていられるのは、1973年からイザラ書房に関わってこられた編集担当社員の方が、とても優秀な方だったということがあります。その方が『神智学』や『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』等、1970年代終わりに出た本の編集に関わったのですが、人格的にもすばらしく、彼がいたから、イザラ書房を続けてこられたということもあります。今、ご自身で出版社を興されて出版流通対策協議会という100社ほどの出版社で構成する組織の副会長もなさっています。

 まあそんなこんながあり、当時の日本協会とゲーテアヌムとの関係に納得できないものを感じ、事の発端の先生ともついに袂を分かってしまいましたが、数多の人の折々の厚意という不思議な細い糸で命がつながってきた出版社なのです。またイザラ書房のスタッフとして私が初めて手がけた本は、『魂のこよみ』『色彩の本質』で、これは私自身の興味が強くあった本です。

 今現在は私が代表で、姉が役員を勤め、アシスト二名と連携をとりながら進めています。書店からの注文があると業務取引している流通倉庫会社から出荷してもらい、ここ、神保原はもっぱら編集と、発送・発売以外の日常業務の作業場所となっています。また、執筆者との打ち合わせもあります。

(この日もまさに福岡の方が東京経由でいらしていたところにおじゃまさせていただいたのです)


2、それから、社名の「イザラ」ですが、これは何を意味するのでしょうか?実はこれが一番聞きたかったことなのですが(!)。

 創立者がつけた名前です。スペインのバスク地方の言葉で「星雲」という意味があるそうです。宇宙の始まり、宇宙の母体ということらしいです。バスク語ではIZZARAとZが二つ重なるそうですが、社名はIZARAと日本人にわかりやすいつづりになっています。私個人はこの音を聞いた時、旧約聖書のイザヤ書をいちばん初めに連想しました。厳しい預言者の感じですね。また、イザヤ書に続く旧約聖書のエレミヤ書の連想で、哀歌の哀愁漂う雰囲気も感じました。またバスク地方からはイエズス会の創立者、聖イグナチウス・ロヨラや日本の守護聖人となっているフランシスコ・ザビエルが出ています。

そうですか。わたしはイザラという言葉にはとても強烈な印象を持ちました。一度聞いたら忘れないような言葉の響きです。謎めいていて渦まいているような感じです。好奇心で手を出すと引き込まれてしまうようなちょっと怖さも感じました。けれども、星雲と聞いて、確かに、渦をまいている。人間には計り知れない謎、叡智という感じですね。ぴったりはまりました。これで明日から眠れそうです(笑)。

3、出版された本には、やはり、シュタイナーの翻訳本が多いと思いますが、どの様な経緯で出版されるのですか?イザラさんのほうで、企画を出されるのですか、それともシュタイナー関係の方から持ち込まれるのでしょうか?また、シュタイナーの著作に限らず、どんな本を出すかに関して、どのような出版方針を立てていらっしゃるのでしょうか。

 この年になってやっと初めの時とは違うビジョンが形作られてきたかな・・・という感じです。なぜ本を出すのか、シュタイナーとは何者かということに対して、井戸の水が涸れちゃったような感じがしばらく続いていたのです。1990年代後半から2002年くらいまででしょうか。 そのあとだんだんと新田義之先生や秦理絵子さん、西川隆範先生、そういう方たちの影響やいただいた原稿のお陰で、自分なりにイメージをゆっくりとふくらませてきて、こういう感じでいきたいなーというのがだんだん形となってきたというのが、昨年から現在にかけてですね。

 去年病気をして、ちょっとした手術だったのですけれど、体調が変わり、根を詰めて集中して仕事をすることができなくなってしまいました。とにかくゆるんでしまって。ゆるみっぱなしだと「モノ」ってできないじゃないですか。ある種、職人になりきらないと。で、困ったなーと思いつつまだいるのですけれど。・・・ただ原稿は充実したものをいろいろいただいていて、これから出る番を待つばかりというのが10本くらいあります。 

 それから、自分の意思がある程度入っている、全体の流れに対して責任を持つという意思がはっきりしてきました。どこへ流れ着くのかわからないけど本づくりしていますというのではなくて、天界=精神界の存在者とともに、全体の流れをある程度把握していきたいと思っています。いつも祈りながら原稿にあたっています。

 それから、原稿に関しては、いつも不思議な経緯があるのです。いきなりポーンとメールで送られてくる時もあって、それが素晴らしいときもありますが、まあ、これはちょっと・・・という場合もある。人の紹介も多いです。新田先生や西川先生などはおつきあいが長くなりますので、こういうのはどうでしょう?というご提案から入ることもありますし、ご提案されることもあります。あるいは自分で翻訳できないけれど、こういうのがあるよと示唆いただくこともある。人とのご縁が主で、長年の人間関係のお付き合いから本が生まれてくることが多いですね。

こういうのを本にしたいと持ち込まれて断る時もあるのですか?

 あります。お断りするときもあります。

 自費出版や販売協力も行っていますが、自費出版ならなんでもいいかというと違うのです。やはり納得できるものでないとできません。編集者はいまのところ私だけなので。ある程度制作のインフラができて編集の段取りがシステマチックになってきたら、もう少し生産的な本作りができ、新刊がコンスタントに刊行できると思います。ただ、今のところはまだまだ畑に種をまいて芽がちょっと出たかなというところですね。今は非常にゆっくりと丁寧な進め方をしています。ちょっと無理だと思ったらすぐお断りしてしまう、無理をすると祈りやファンタジーが消えてしまい、機械的な作業になるので嫌なのです。イザラ書房としては今そんな感じですが、出版の世界では24年間、四半世紀自分はこの仕事に関わっています。

なかなかできないことですよね。すごいことですよ。

 いや、抜けるに抜けられないんです・・・(笑) 与えられたものなのでしょうか。





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Last updated  2007/06/24 11:19:48 AM
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