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シュタイナー関連書籍出版社                イザラ書房編集室だより

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カタリナnote

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2007/06/25
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カテゴリ:from スタッフ
4、今まで出版してきた本の中で、心に残っている本、苦労した本など、出版秘話などありましたらお聞かせください。

 心に残っているのは『民族魂の使命』と『一般人間学』ですね。
ヘッセやユングは好きでしたが、シュタイナーやドイツ語文化圏に対する違和感などは当初から結構あったのです。今もその力強い構造とロマンの激しさにいささか身が引けてしまうところがありますけれど。それを気にせずにぐいぐい読めた本が、まずはこの『民族魂の使命』でした。そこには大天使のことが書かれていて、民族を守護する天使というのは、個人を守護する天使の上のヒエラルキーにあたる大天使存在なのだそうです。それが、北欧神話との関連で非常に詳細に書かれていて、私にとってはものすごくファンタスティックで心躍るような本でした。いかにキリスト存在が偉大か、シュタイナーの熱い思いがひしひしと迫ってくるこの本がきっかけで、20年ぶりくらいにようやくキリストに立ち返ろうという気持ちを持ち始めました。
 
 実は子どものときに『ナルニア国物語』(C.Sルイス著、児童文学 戦争中にイギリスの田舎に疎開してきた4人兄弟が、古いタンスを通って、ナルニア国へ迷い込み、ライオンの姿をした国王アスランと共に冬の女王と戦う。著者はキリストとしてアスランを描いている)を読んだことがきっかけでイエス・キリストに関心が向かったのですが、聖書を開いても理解できないことが多く、逆に反発してしまいその後ずっと避け続けていたのです。聖書に当たって砕け散ってしまったのですねえ・・・。
『一般人間学』は他社からも出ています。でも新田先生の手になる原稿があまりに透明感があり、熱意にみちたものでしたので、思わずそこに私はシュタイナーの顔を見てしまったのです。原稿用紙の書き方で翻訳者の折々の思いが分かるものですが、ものすごいエネルギーと誠実を新田先生がこの本に注がれているのに圧倒され、おそるおそる本にさせていただきました。また書かれている内容もすごいものです。

 シュタイナーの著作の中にもキリスト教に関するものがたくさんありますよね。日本人にとって、天使やキリストはやはり違和感のある存在だと思います。編集の仕事をしていてそのあたりが難しいのでは。

 キリストやキリスト教についてシュタイナーが述べていることで、良心的な聖職の方があえて誤解や混乱を避けるため語らないようなことを、はたして出版してよいものかというためらいもあります。また伝統的キリスト教会については戦後の猛反省を経て大きく変わり、1960年代の第2ヴァチカン公会議以前以後ではキリスト教世界はまったく様相が変わってしまっている。分裂から全世界教会へ向けての対話と融合・異宗教間の対話が積極的に行われています。1920年当時の退嬰的なキリスト教会と第2ヴァチカン公会議以降のキリスト教会は別物といえるのではないでしょうか。また禅において印可を受けたイエズス会修道士の方などは、老荘思想や仏教の空の思想とキリスト教は矛盾しないとも言いきっています。だから、編集していても、むかーしの教義に縛られた古くさいキリスト教会のことがまるで今のことのように出てくると、ある時点で私の素朴で無邪気なエネルギーが止まってしまうのです。神からの膨大な無条件の愛と、悪しき呪縛からの解放をこんなにも気前よく教えてくれる宗教はないのではないかと思っているのですが、世間のイメージは逆ですよね。それにちゃんとしたところは布教活動をほとんどしていないし、キリストの教えとはとても言えない危ないところほど訪問勧誘とか熱心ですしね。宗教と言うと日本ではやみくもに悪いイメージがありますので、あらゆる精神性を包括し、進化し続けるキリスト・ダイナミズムと言い換えてもいいのかなと最近では思っています。

 というようなわけでシュタイナーのキリスト論の展開は、あと一息なんだけれども登りきれない山といえます。なかなか日本の風土ではつらいものがあります。真の宗教性、真に聖なるものは人の心を癒し、深い安らぎを与えてくれると実感しているのですけど、残念ながら誤解されやすいですね。この点、聖職者や神学者の方のご助力をいただきたいです。

 またシュタイナー自身は超感覚的な精神世界=天界がダイナミックに見えていたのですけれども、私自身は見性したわけでもないのでそこが追いついていかないですね。ただ深い祈りの中で心を静め、心の耳目を開くようにすると、悟りを開いていなくても次々にインスピレーションが与えられるので、なんとかなっている感じです。

 私の役目は読者の方たちの魂の糧となるようなものを、柔らかく包み、届けさせていただくというようなことでしょうか。一冊一冊気持ちをこめて皆さんにお届けしたいですね。イザラに関して言えば、天からの宝珠を受け取る花冠でできた聖杯のイメージも無意識にあります。花冠の聖杯の下では3本の剣エクスカリバーが回転していました。これはイザラ書房を続けたほうがいいのかどうか悩んでいたとき受けた、サイコセラピーのワークショップで深層意識から出てきたイメージです。銀河を花束のように手に持ち、父なる木星を足元に、星のヴェールを被った宇宙の花嫁のイメージに続けて出てきました。

 それから、私がシュタイナーの翻訳原稿をいただいての本作りにあたる際に思うことはどうしたらこの中の命が生かせるかということです。ただ機械的に誤字、脱字をチェックして、要件を満たしていけばそれだけで本ができることはできるのです。でもそれでは広く皆さんにその本を薦めることはできないのです。見てください、こんなにすばらしいんですよとは、自分で思わなければ言えないじゃないですか。これはかつてのプロダクション時代とは大きな違いです。だから、今ちょうど手伝ってもらっているスタッフのみんながスケジュールどおりいかないことでイライラしたり、読者の皆さんにお待たせしたりしていますが、刊行の意義が未消化のまま、つまり命の火が灯されないまま世に出すわけにはいかないのです。

 また、内容的に私自身追いついていかない部分は、何とかする為に、手当たりしだい気になる本を読んでみます。カトリックの伝統の中から生まれてきた祝祭日の典礼とか、聖フランシスコ(中世のイタリアの聖人)の存在とかもすごく大きな慰めになります。シュタイナーも同様ですが自然界に神の現れを見ていたわけですから。聖フランシスコやマザー・テレサなんてその方がいるだけで周りが次々に変わっていってしまったのでしょうね、素晴らしいことだと思います。それから禅の鈴木大拙の著作とかヴァガバッドギーターの解説書なども非常に参考になります。またカトリックの黙想指導司祭の方が書かれた宗教上の体験談や祈りの本、そして五木寛之さん、この方は真宗大谷派ですか、そういうもの全部が私の編集の力になっています。それから以前、神道のグループの方達と山歩きをしたり、瀧に打たれたりしたことも尽きせぬ泉のようないい体験です。本が形になる、ものが形になる前の段階ですけれど。

 キリスト教に関しては、シュタイナーが非常にキリストのことを愛しているうえ、どの著述にもキリスト存在の気配があるので、向きあわざるを得ないのです。やはり核心ですよね、そこがね。だから私自身はイギリス国教会の流れの日本聖公会でですが、キリストの子どもとなるために洗礼を受ける運びになったのだと思います。敬愛するC.S.ルイスがイギリス国教会だったので、結果まったくスムーズに恵み豊かな信仰生活に入ることができました。他方、薔薇十字会の精神性を後継し、聖杯騎士団長たるシュタイナーは、私にとってはなんというか、運命です。

 それから、リズムの大事さ。毎日の祈り、一週間に一度のお祭り(礼拝)、これが積み重なるとかなりな変容が起こると思っています。らせん状に連なって、一日、一週間、一年、何年も祈りを積み重ねてきたひとのオーラは違ってくると思います。超感覚的に見えなくても、すでにその方の雰囲気や、お話しするときの気配に顕れていますね。荒々しくも素っ気なくもなく、柔和で謙虚です。祈りというものが定期的・周期的なリズムで行われているということは、目に見えないところでその人を大きく変化させていくのではないのでしょうか。

 そうですね。それはキリスト教など宗教を問わず、仏教徒でもイスラム教徒でも同じです。祈りというものは独りよがりの神頼みでなく、神との対話の時間ですが、とりとめのない自分の心をひとつにまとめて差し出す行為でもあります。人間は神のような存在に近づきたいという気持ちを持ちながらも、同時にどうしても悪の道にひかれてしまいます。あれが欲しいとか、あの人嫌いとか、自分だけ認められたいとか・・・。でも、祈りという時間を持つことによって、背骨を正す。そういう欲ではなく、自分の心の底にあるであろう本当の自分に触れる時間だと思います。日本人は特別な宗教を持たないように見られていますが、宗教心のようなものは持っている人も多いと思います。ただ、毎日祈りの時間を持つという具体的な積み重ねに大きな力があるということがもっと大事にされてもいいと思います。祈りと言わずとも、心をこめた「おはよう」の挨拶とか大事ですよね。

 先日『ブラザーサン、シスタームーン』のDVDを見ることができました。初めて見たのは中学2年生のころ、聖書に当たって砕け散る直前ぐらいに見たのですが、その時以来です。聖フランチェスコの生涯を描いた映画です。その中で、「どんなことでも心をこめてやればそれは清いことである。」「ゆっくりやりなさい。ひとつひとつやりなさい。」とフランチェスコが微笑んで歌いながら教える場面があるんです。

 私も20数年前見ました。オリビアハッせーの「ロミオとジュリエット」で有名な監督が作った映画で音楽と映像がとてもきれいです。石をひとつひとつ積み上げながら教会を建て直す場面の言葉ですよね。マザーテレサも同じような言葉を残しています。「何をしたかが大事なのではない。どれだけ心をこめたかが大事なのです」と。ただやればいい、仕上げればいいということでは決してない。

 そうそう、仕上げればいいとは、私がかつてやってきたことです。それではもうダメなのです。喜びにあふれた仕事=生き方にならないのです。家事で追われている主婦にとっては、どんなささいなことでも一つ一つ丁寧に心をこめてやればそれは素晴らしいものになる。

 主婦の仕事、編集者の仕事いろいろな仕事がありますが、読む人の心の糧になるような本を私なりにどう作れるか、それも喜びとともにということを、私自身は見つめていきたいと感じています。

 きょうはお忙しいところお時間をさいていただいてありがとうございました。奇しくもきょうはシュタイナーの誕生日です。シュタイナーがここに私たちを会わせてくれたのかなという気もしてきます。本を手に取ったとき、日ごろはあまり意識していませんが、著者と読者の間にもう1人、編集者という大事な存在があるということに気づかされました。心をこめて整えたものを人々へと送り出す。それは子どもたちが気づかなくても、日々掃除洗濯の家事をこなしているお母さんのようですね。ひとつまたひとつと石を積み上げている渋沢さんのお仕事に対する姿勢に、日々の生活の中で本当に大事なことを改めて教えていただきました。どうかお体を大事にこれからも私たちへ良い本を届けてください。





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Last updated  2007/06/25 09:05:43 AM
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