カテゴリ:普通の話
「次回は新居から」と言いつつ、あんたいつまで引越し作業してるのさ?状態になってしまって、大変申し訳ありませんでした
引越しは9/15日にすでに完了して、その日から住み始めてました。 オール電化・・・結構快適なものですね これから冬になるのでどうなるかはわかりませんが、思っていたより電気代が安い とても、居心地が良いです ハイテク?な設備が多くて、正直私には必要ないわ、これと思うものが多いです 各設備の説明書だけでも大量で、分厚いファイルが・・・ 暗証番号を入力する鍵(?)なんだけも、これがまたよくわからんの 変えたくても2秒以内にあれ押せだのとか書かれても、逆に焦ってしまい失敗するアホ女がここにいます しばらくご無沙汰していて、もうきっと忘れてる人も多いと思うのですが(笑)、 毎回「今日から再開します」とか書いてて、結局続けることが出来なくて・・・。 でも!本日から本当に再開します。 毎日は無理なんですが、確実に更新頻度はアップします やっと、自分の中で一区切りがつきました。 もちろん、まだ残る不安・それに対するストレスも多々残っていますが、 何とかブログ復活まで辿り着くことが出来ました。 今まで、弱音を吐くたびに暖かい言葉を掛けてくれた皆様に、6月のあの日から今日まで私が何を考え何をしようとしていたのか、本当のことを伝えたいと思って、今日はそりゃもう「こんなakiさん見たことないわ」ってくらいに長々と真面目に書きますよ かなりな内容になりますので、ここからは隠しますので反転させてお読み下さいませ。 離婚しました!ってここに書くはずだったのですが、実はまだなのですよ。9月に早く渡せよって感じで急かされて10月中旬に渡したんですけどね。 これから証人決めるってあんた一体今まで何してたの?! 私を急かした挙句に、こっちはそのせいで体調崩して点滴して次の日なんて同僚に「あんた呂律回ってないけど大丈夫なの??」とまで言われたんだぜ!! 相変わらずに無計画男だなと感心・・・じゃなくて、怒り爆発寸前だけども、とりあえず近いうちに出しに行くらしいです。 ってね、これわざとに17、18、19日辺りを狙って出してきたら(18日って私の誕生日じゃん)本当にあんた地獄に落とすよと言うか、その前に私がまた真っ逆さまに落ちちゃうからっ。 それだけはやめて欲しい。旦那にまだ少しでも良心と言う物が残っていることを願うばかりです。 6月のあの日から、いっきに奈落の底に落とされて本気で死のうと思いました。 本当は最初に病院へ行った時に言わなければならなかったことなのに、あの時の私はいっぱいいっぱいで言いそびれてしまったことがあります。 先生、ごめんなさいっ!本当に申し訳ありませんでした!!(って、ここで謝ってどうするんだろうね) 別居だ離婚だと言われたその数日後から旦那は1週間程留守にしていました(釣りだよ、普通じゃ行けないと思いません?) その間に消えてしまいたいと思い、手首を切ろうとしました。 実際に傷はつきました。けど、やっぱり怖かった。 そして、毎日親が心配して電話を掛けてきていたんです。 普通にお風呂に入ったいて出られない時でも、何度も何度も掛けてきていて掛け直せば「何してたの?」と心配される。 その度に申し訳ない気持ちになる。 けれど、一度「死」と言う物に捕り付かれてしまうと、そこから抜け出せなくなった自分がいました。 2度目に考えたのは、眠れない日々が続いてたので薬局で売っている睡眠改善薬(○リエルと何かもう一つ)を買いに行き、そこでふと思い出したことがあったのです。 数年前に旦那の兄が薬を大量にアルコールと一緒に飲み込んで、3日間程意識不明になったことをね。 あ!それだ!と思い、家にあるありったけの薬(風薬とか鼻炎用カプセルとか)と一緒に私もアルコールで流し込めばいいんだ・・・と思ったのです。 でもこれ↑どれだけ飲んでも死ねなかったと思います。 定期購読してる本があるために、たまに本屋に出掛けていて、実はその際に某自殺関連本2冊も購入していました(○○○○マニュアルと○○のコスト)それには致死量も載っています・・・けど、あまり活字が読めなくなってたんで、ちょっと眺めたくらいです(それだけでも十分に危険な女ですけどね) その頃は旦那と一緒に暮らしていた家と、新しく借りたアパートを行ったり来たりの状態でして、薄々何かを感じただろう旦那から、こう言われました。 「お前、少しでも変なことしてみろよ、すぐにお前の親元に怒鳴り込みに行くからな」 これって、脅しでしょ。 さらに、と言うか止めを打たれたのが、この一言。 「お前が死のうが生きようがどうでもいい。勝手にしろ。けどな、死ぬ時は俺に予告しないで死んでくれ」 予告しないで云々・・・と言うとこには理由があって、簡単に言えば(話せば長いしね)旦那に予告した後に本当に死んでしまった人がいたからです。 その言葉を聞いた時、この人は1人死のうが2人死のうが何も感じない人なんだと思いました。 別居生活が始まってからも、毎日毎日泣いてばかりで辛かった。 体調が悪くても仕事には行かなきゃならない。 「死にたい」と繰り返す私を同僚がおかしいと思い、「あんた1回でいいから病院に行っておいで。何の病気じゃなくても、眠れないなら眠剤だけでも貰って来なさい」と言われたにもかかわらず、それでも大丈夫とそのまま行かずにいました。 けれど、1人になるとまた「死」に対する気持ちが強くなってくる。その頃手書きで書いたメモには自分を責める言葉と死にたい死にたいとそればかり書いていました。 そして辿り着いたのが自殺サイト。 一番簡単に死ねる方法って何かな?色々見て回って、練炭が一番いいかも・・・と思いました。体調も悪いし、あまり外には出たくない日々だったのですが、ふと売ってるかどうかだけでも確かめに行こうと思い、○ーマックに行ってみた。 でも、そこに売ってなかったのです。 もし、売っていたなら・・・もしかしたら私は今ここでこうしてブログを書いてなかったかもしれません。それだけ、自分の頭の中で色んなことを考え確実に死ねるように計算していたからです。 でも毎日毎日相変わらず続く親からの電話。 悩みました・・・生きてていいのか、死んだ方が楽なのか。 「大丈夫だよ」と言いながら、心の中では(ごめんなさい、もう無理です)って思ってました。 結局同僚に再度「とりあえず1回でいいから行きなさい」と言われ、やっと病院に行くことを決めました。 周りの人達も親も、もちろん私自身も知っていたんです。 これは病気なんだってことを。 たぶん、6月以降の私のログを読んでいた皆様もわかっていたでしょう? でも、病気のことを知っても普通に皆が接してくれた(くれてる・・・かな)それが嬉しかった。 けど、1人だけどうしても認めなかった人がいる、それは旦那。 以前にも書いたけど「お前がそうなら、俺だって同じ病気だ」などと言い出す。 あんたはまだ自分の好きなことが出来ている・・・それだけでもいいじゃないか。 この時、旦那への怒りで一瞬だけ目覚めた状態になり、ちょっと音楽を聴けたり本を読めたりしたのですが、それももう本当に1日2日くらいだけでした。 何もできなくなった自分が情けなくて、悔しくて、泣いてばかり。 それでも仕事は続けていけなきゃならない。この頃からが一番辛い時期突入したと思います。 「死なないと約束しましょう」 初めての診察の時、先生に言われたこの一言で、「死」への思いに急ブレーキが掛かりました。 実は、親元に怒鳴り込みに行くだの、勝手に死ねだの言っていた旦那からも、その数日後に同じ事を言われていたんです。散々追い詰めるだけ追い詰めて今さらそれかよ?!と口に出しはしなかったけど、完全無視をした私。 でも、先生に言われると、何ていうか、ん~よくわからないけど「やっぱり死んじゃいけないんだな」と不思議と思えました。 8月お盆明けまで忙しくて、休みも貰えず病院に行けなくなり薬もなくなって、また眠れなくなり、落ち込んだり、泣いたり、やっぱり死にたいとも思った。 けど、その度に先生との約束を思い出し、辛い日々を乗り越えようと必死だった。 って、長いなぁ、これ(笑) でもとりあえず、全部ぶちまけてスッキリしたいから、まだま~だ続く(かなり迷惑・・・笑) 文字制限に引っ掛かってしまったので、続きはその2で書いております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 12, 2007 06:05:50 PM
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