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カテゴリ:身近な出来事
メールというものは便利なもので、長い空白の期間があったハズなのに、届いたメールを開いたその時点からその空白期間は消え去って、頭に甦るのは一緒に遊び歩いていたあの頃の顔とたたずまい。 その空白が1年だろうと四半世紀だろうと、いやいやそれ以上だとしても、甦るのはあの頃のあの表情だ。 埋められない、でも、埋める必要もない空白の期間には、それぞれが説明しきれない体験をしてきているはずだけど、それも抜きにして「あらま、久しぶり~」とあの頃に戻る。 便利な、怖い機能のひとつだ、メールが持つ。今現在の相手を知れないし。 唐突に届いたメールは、唐突に途絶える。死んだか、それとも生きているのか、それを知る手だてもない。メールが届いたのだから、この時代の、この地球上にはいたのだろうけど、それが日本なのやら、海の向こうやらもわからない。 結局、なにも事態・状況がわからないままに音信不通となり、友は瞬時に眼前から消え去る。 それがメール。 このページを「見たよ」と言って思いも掛けず近況を知らせてくれた旧知の友。一年経たぬ間にまたかき消えた。今もこのページを見てくれているのやら、それもわかりようがない。 それでもメールは楽しい。 傍若無人な電話のごとく相手に同時間での対応を強制しないし、今を伝えることも出来れば、過ぎ去った時を再現することも出来る。会話のようにリズムある心の交歓もできるし、受け取った言葉を読んでその意味を考える時間を持つことも出来る。 文字の会話にあたたかみを感じない人もいるかも。でも、それは想像力が足りないんじゃないのかな? 行間を(ムリヤリにでも)読むと、短文での交流ってのも結構スリリングだと思うんだけどな。 文面が短いからこそ、発信者の人柄がほの見えることもままあるし。 しかし・・・・機種変更したおニュー携帯の変換バカタレさ加減を思うと気分がなえる。 「御社へ伺います」と書きたくて、「おんしゃへうかが」まで入力する。フツーの辞書なら「おんしゃへう」まで打つと目的の一文「御社へ伺います」という候補が出るハズ。 でも、このおニュー携帯は違うんだなぁ。 「おんしゃへうかが」の候補筆頭 =「御社へ羽化が」 そんな日本語、ね~だろ! あほんだらぁ!! も~、抹殺してやろうかしら。 あかん、きょうも携帯の愚痴で終わってしまった・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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