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カテゴリ:身近な出来事
ぼくが育った筑豊の炭坑街には在日韓国・朝鮮人の人たちがたくさんいた。「彼らは、なぜここにいるのか?」 そんな疑問を持ったのは高校に入ってからで、ガキの頃に一緒に遊んでいる分には、ただ単にはしゃぎ合う仲間であり、競い合うライバルであり、泣かし泣かされる間柄だった。 それでも、子どもたちの間にもどこかよそよそしい空気が流れる瞬間があることを体で知るようになり、ふと気づくと、おとなたちの間ではもっとはっきりとしたよそよそしさが感じ取れる時があることがわかるようになる。 不思議だった。さっきまで仲間だった相手を、軽い気持ちでぽーんと突き放すことができるなんて。それも、くもりガラスを爪でひっかくようなささくれた言葉で。その言葉は、子どもだからこその冷淡さで相手の心に突き刺さる。その突き刺さる音が聞こえるような気がした。 変だな、妙だなと思い始めたのは小学校の4、5年ころだろうか。仲良く遊んでいる、そのバランスが崩れると、友人たちはひとりの仲間を言葉でこづきまわし始める。その相手はいつも同じヤツだった。みんなに追従する係だったぼくは、変だな、妙だなと思いつつ、黙ってその様子を眺めていた。 その時のぼくの心は、オレもみんなと同じことをしなきゃダメだ!という声が大半を占めていた。そうしないと自分も同じ目にあうだろうという恐怖がどこかにあった。でも、変だな、妙だなという思いも確かにあって、声を出すこともなく、止めることもなく、ただ黙って眺めていた。 黙って眺めているなんてサイテーだな、今考えても。 ある時、お袋とふたりで、いつもこづきまわされるヤツの家の前を通りかかったことがある。ぼくはその家に住む友人が、みんなに言葉でこづきまわされる人間であることをお袋に知らせねばならないと思った。 なぜだろう? 見た目も言葉も仕草も、なんにもぼくらと変わらないのに、時にこづきまわされる友人がひとりいること、それがこの家に住んでいることを告げなくちゃならないと思った。 なぜだろう? それは、口に出してはいけないことだ。やめとこう。そうも思った。 でも、ぼくは言った。 「この家のヤツ、○○人なんやて」 お袋は顔色を変え、ぼくの腕をギュッと引っ張り、強く、ひと言。 「そんなこと、言うんじゃありません!」 そして、彼の家の前をそのまま通り過ぎた。 ぼくは、変だな、妙だな、という自分の思いが受け入れられた気がしてホッとした。変だな、妙だなと思っていていいんだ、友人たちと同じ行動をとらなくてもいいんだ。そう言われたような気がして安堵した。 ぼくがお袋から強くたしなめられたのは、後にも先にもこのときの一回きり。お袋が日本が侵略していたころの朝鮮半島で生まれ育ったことを知ったのは、それからずっとあとのこと。 生まれ育った美しい山河や、ころころじゃれあい遊んだ友人たち。その懐かしいふるさとを日本人が蹂躙していた。自分は、ふるさとを、友人たちの心を、踏みにじったその日本人のひとり。そう気づいたとき、まだ年若いお袋の足元から大地が消えた。お袋は帰る場所を失った。 炭坑街・・・懐かしいまち。 ぼくの、後悔だらけのふるさとでもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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