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カテゴリ:身近な出来事
最近、岡本太郎さんの顔や名前をよく見かける。ブームなのかなぁ…と、書いた今、「生誕100周年」とテレビから。
なるほどね、そうだったのかぁ。 会社勤めをしているころ、太郎さんの自宅を訪ねたことがある。あるシステムのシンボルマークを作ってもらいたいというお願いだった。と言っても、まだ20代半ばだったぼくは数人の先輩にくっついて行った一番下っ端で、同席はしたものの太郎さんと直接お話はしてないのだけれど。 聞いていた通り、そして予想していた通り、奇妙な方だった。 自宅の玄関を入るとそこには太郎さんの等身大の人形が。正装して爆発ポーズをしている姿はちょっと怖かった。 庭には太陽の塔に象徴されるあの顔が彫刻や焼き物でごろごろしてた。へんてこな庭だなぁと思ったけれど、あの顔は太郎さんの心だったんだろうか。 同席して話を聞いていたけど、こちら側と太郎さん、話は決してかみ合っていなかった。もっぱら秘書の方(後には太郎さんの作品を管理された女性)との話合いという感じだったっけ。 その後、ある画家の番組を構成する際、太郎さんのことを調べたことがある。太陽の塔の太郎さんはあまり好きにはなれなかったけど、戦前、二科賞を受賞した「痛ましき腕」や、ファスナー付きの真っ赤なサメもどきが画布を切り裂く「森の掟」なんかは結構好きだった。 太郎さん、そばで話を聞いてるとよくわからなかったけど、その文章はおもしろい。「沖縄文化論」も勉強になったっけ。 お願いしたシンボルマークを太郎さんは描いてくれた。それはあの太陽の塔の兄弟のような感じの顔だったけど、肝心のシステムが世に出ず、そのシンボルマークも日の目を見ることがなかった。 残念だった…。 そのシンボルマークと共に、ぼくの20代の2年間はあったんだった。 そっかぁ、100周年かぁ。 太郎さんが書いた本でも読み直そうかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.23 22:42:43
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