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1月6日の夕方。
身の回りの品を運びがてら入院した母の様子を見に行ったあと、近くのパスタ屋で夕食をとろうとしていたら、携帯にメール。 姉からだった。 「たいへんな時に、 一緒にいられなくて何もできなくてごめんね」 姉は自身も肺炎にかかり、12月初頭から福岡市内の病院に入院していた。 ひとり入院して治療中に心配をかけたくないので、母が12月中旬から体調を崩し、年末には入院したことを彼女には伏せていた。 母が入院していることを姉が知ったのは、新年を迎えて帰宅が許されたとき。義理の兄が伝えてくれた。 姉は仮の退院でもあり、また、投薬の影響で免疫力が落ちているので、帰宅している間は外出を極力控えるよう主治医に言われていた。 母の経過も順調で正月2週目には退院出来そうな感じだし、寒い中面会に行き互いに風邪でもひくと元も子もないので、結局母には会わずじまいで三が日が過ぎると自分の病院へと戻っていった。 その二日後に母は倒れた。 認知症が進んでいる母に、退院したらあれもしてあげよう、これもしてあげよう。入院中のベッドの上で、姉はずっとそう考えていたに違いない。優しい人だから。 その姉が「何もできなくてごめんね」とメールを打つ時の切なさ、無念さを思うと、ぼくは涙をこらえきれなかった。店員も、客もいるパスタ屋で、メガネをはずして目頭を押さえた。 姉が見た母の元気な姿は、自分が入院する日の朝、着替えをさせるときの母だったろうか。 それともその前日の夜、寝るときに世話をしたときの母だったかもしれない。 そんな母が、意識を無くして眠っている。駆けつけたいけど出来ない姉は、その母の姿を病院のベッドでどんな思いで想像しているんだろう。 そう思うと、涙が溢れた。 泣きながら人前でパスタを食べる日が来るなんて、思いもしなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.23 21:41:12
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