テーマ:アニメあれこれ(27162)
カテゴリ:Dunbine
3月下旬まで『太陽の牙ダグラム』を観ていたドラゴン山田が、今度は懲りもせず『聖戦士ダンバイン』を DVD で再見している。昨年末あたりから今年にかけて、「生と死」について漠然と考えており、「生死を通じて地上とバイストン・ウェルを行き来する人間生命」というダンバインの物語はもう一度見直そうと考えてはいた。が、いかんせん、話が話なので、また第1話から全部見直すのもしんどいなぁとか思っていた。にもかかわらず、2月末の義父の急逝ということもあってか、3月末からやっぱり改めて観直し始め、現在第2クールを観続けている。私が高2の時(1983年)の作品だから、かれこれ27年前のアニメーションなのだが、今さらのように従来とは違った視点から観るようになっている。
一つは、「親と子」というモチーフだ。考えてみれば、ゼラーナのキャプテン、ニー・ギブンは、最初の数話で母および父を敵に殺されている。ギブン家に仕えていたキッス家の、娘キーンと父キブツとの不幸な対決。征服者としての己を貫こうとするドレイク・ルフトと、敵対するニーと恋仲であるその娘リムル。そして、リムルを殺してでも貫くべき「義」があるとする母ルーザ(実は「義」でなく「野望」であり、現に物語の最後でリムルはルーザに殺されてしまう)。第1クールの時点ではまだ語られていないが、そうした戦乱の世に地上から落ちてきた主人公ショウ・ザマもまた、実は東京の実家では「不幸」な家庭環境にあった――。校内暴力や家庭内暴力が問題となっていた1980年代という時代背景があるのか? 第2クールに入って早々に東京3部作となるわけだが、ショウと共に地上に出てしまったガラリア・ニャムヒーもまた、敵前逃亡した父の汚名を雪ごうとして手柄を立てることに躍起になっていた様が描かれる。(第1クールの最後で一度姿を消すアメリカ人トッド・ギネスだが、再登場した後の地上編では、母親思いであることが分る。ヒロイン、マーベル・フローズンもまた、幸せな家族だった様子がいずれ出てくることになる。)その他、ミの国の国王ピネガン・ハンムと駆け落ちしたパットフットおよび娘のエレと、パットフットの父であるラウの国の国王フォイゾン・ゴウとの間の葛藤、というのもあるなぁ。 他方、第2クールはまた、物語のいくつもの伏線が見え始めた時であることも、今さらのように分ってきた。これまでは、キャラクターの絡みや個別の戦闘シーンばかりに気を取られ、戦略的にはどのような方向で話が進んでいるのかが十分に見えていなかったのだ。何と言っても、第1クールまでは出世街道まっしぐらに見えた敵役バーン・バニングスが、第2クール早々に転落を始める。この時点で彼が乗っていたオーラ・バトラー、ビランビーは、まだ新鋭機だったはず。にもかかわらず、さらに新型のバストールの登場と、下剋上としてのエルフ城攻略での失敗とで、あれよあれよという間にドレイクから捨てられショット・ウェポンの私兵へと堕ちてしまう。ここから、転落者としてのバーンの「怨念」の物語が始まる。他方、リムルの音楽教師だったミュージィ・ポーが、バストールを与えられたガラリアの様子を逐一ショットに報告するという形で戦場に登場。ミュージィもまた、ショットに見初められ戦士になったがゆえに、やがて父と兄弟を亡くして行くんだよなぁ…。 で、さらに第2クールでは、エルフ城攻め開始の時点でショットの本心が語られる――実験機バストールで、バイストン・ウェルの普通の人々(コモン)から最大の力を引き出すことに成功した暁には、ドレイクの機動部隊を打ち破り自分がバイストン・ウェルを手に入れる、という悪魔的な野心。すでにこの時点でショットは、レプラカーンやライネックといった次世代量産機の他、巨艦ウィル・ウィプスや自分専用の戦艦スプリガンの設計をしていたのかも知れない(ただし、ショットもドレイクも、バイストン・ウェルと地上とを自由に行き来できるようなオーラマシンを作ろうと、この時点でどの程度本気で考えていたのかは不明)。また第2クールを注意深く見れば、バイストン・ウェルに戦火を拡大させていく影の張本人が、ドレイクの妻ルーザであることがすでに見え隠れしている。ルーザがこの時点でクの国の国王ビショット・ハッタと通じていることは、すでに明らかだが、今日観た第20話「バーンの逆襲」でバーンが言った「ルーザ様がいなければ、ここまで遠ざけられはしなかった」というセリフもまた、ドレイク以上にルーザが政治的・軍事的に暗躍していたことをほのめかすものだろう。 巨大戦艦が唐突に登場したり、主役メカがビルバインに替ったり、舞台が地上に移ってしまったりで、物語の中盤から急に路線変更したように見えてしまう『ダンバイン』だが、そういうのとは違う観方をするためには、ショットおよびルーザの動向を注視する必要があるし、主人公たちが置かれている状況全体を見通しておく必要もあるなぁ。その中で、個々のエピソードを越えたところにある「生と死」の問題が見えてくるのかも知れない。特に、物語の最後の最後、オーラマシンと共に地上に放り出されたバイストン・ウェルの人たちが、地上の軍事力をなくさせるためにテキスト戦争をしている、というのが「本質的な話」だということになるのであれば、オバマ大統領によって核廃絶への具体的一歩が記されるかもしれない現時点で、人類の破滅の危機にあった「核の時代」たる80年代を描いた『ダンバイン』を観直しておくことにも、それなりの意味があるやも知れん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.15 21:43:39
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