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先日見ていたTVで、「洋画の吹き替えの作品が増えてきている」という話をしていました。
それで、映画会社の人へのインタビューで、その映画会社の人は、「若者の活字離れが(吹き替えが増えたことの)原因である」と言ってました。 それで、その映画会社の人も、「自分達も字幕の映画を見てもらえるよう工夫をしている」と言ってました。 どんな工夫かといいますと、「字幕の字数を少なくして、振り仮名を振り読みやすくしている」んだそうです。 正直言って、腹が立ちましたね~。この映画会社の人に。 だって、自分達が映画をつまらないものにしておいて、その原因を「若者の字幕離れ」つまり、他人のせいにしているからです。(私にはそう受け取れました。) 私は、映画を見るときに、字幕と吹き替えがあったら吹き替えを見ます。 なぜなら、私は2時間も字幕を見ていると、頭が痛くなってくるからです。 吹き替えなら、そんなに頭は痛くならない。 多分、字を読むときに使う脳みそと、声を聞くときに使う脳みその動き具合が違うんでないかな、と思っています。で、どちらかというと、「字を読む」時より「声を聞く」時のほうが、脳みその動きがそんなにきつくない。 のではないかなぁと。 つまり、私が吹き替えの映画を見るのは、「頭が痛くならないため」です。 決して「活字離れしているから」ではありません。 もっと言うなら、何で2時間を越える、時には3時間近い映画が映画館で上映されているのかが謎です。 そんなに長い時間、休憩も無しで座っていたら体に悪いでしょうが。 おまけに空気は良くないし。 もういっそ、酸素ボンベもって映画を見に行こうかと思うくらいです。 私なら、もっと映画を見てほしいなら、「時間を短くしてほしい」と思います。 長い映画が増えた、その理由には、一つにはDVDになることをあらかじめ前提にしているからではないか、と思うことがあります。DVDなら、途中で止めたり、見直したりもできますものね。 つまり、映画自体が映画館で見る以外の事を前提として映画を作るようになってきているんじゃないかな、と私は思います。 それに、昔は若者の娯楽といえば割と限られていましたよね。外で遊べないから映画を見に行くか、とか。それがいまや、娯楽の多様化という言葉で語られるように、いろんな遊びが増えたわけだし、映画が生き残るのが大変なのはわかりますが・・・・・。 「若者の活字離れ」を言う前に、「何で映画が見られなくなってきたのか」をもう少し、自分達も謙虚に反省したらどうなんですか? と思っちゃいました。 例えば、吹き替えで映画をみるひとが増えたからと言っても、「やっぱり字幕でなくちゃ」という人だっていると思います。そういう人たちが楽しめるよう、字幕も頑張れば良いのではないですか? 「若者が字幕の映画を見なくなったから、字幕の文字数を少なくする」なんて事をしていると、字幕ファンも見ていてつまらなくなってくるんじゃないですかね・・・・・・。 ついでにもう一つ。 私は吹き替えの映画が好きですが、最近葺き替えの映画に、表現は悪いですが「ちょっと名前が売れたくらいのタレント」を声優で使う例が増えたのではないかと思っています。 で、大体そういう人たちは演技がそんなにうまくないですよね。 どうせ吹き替えの映画を増やすのなら、演技の上手な方にやってもらいたいですよ。 うがった味方をしてしまえば、映画制作会社の側に、「どうせ吹き替え見ている奴らに演技の良し悪しなんか分からないから、知名度のあるタレントにでもやらせておけばいいのさ」的な発想があるのではないか、なんて思ってしまいましたよ。 映画にしろ、なんにしろ、作り手にはその作品に対して愛情を持ってほしいと思います。そういう作品は、見ていて伝わってくるものがあると思うんです。そういう作品なら、吹き替えとか字幕とか、そういうのに関係なく見て見たいとおもいますよ、多くの映画ファンもそう思うのではないでしょうか。 自分達が努力すべきところを努力しないで置いて、他人(観客)のせいにしている、って言うのは、作り手として最低だなぁ、と私はその番組を見ていて腹が立ちました。 で、腹立ちすぐに日記に書こうと思ったけれど、時間がたってしまったので、あまり怒っていない文章になっちゃったかもしれない・・・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.05.20 15:23:48
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