飼育では他を過信しいないこと
白文鳥の頭を乗り物と見なすフィン フィンの前でぬいぐるみの白太郎(だったっけ?)の頭を撫でていたら、当然のように踏んづけ始めた。放鳥終了時に、手の中でぬくぬくうっとりするリオ君に対してする行動と同じだ。なお、この後、大きな方(名前つけるの面倒なので省く)のクチバシをつつき、続いて小さい方に飛び乗って転がり落として逃げていった。さすが15代目、なかなかの者である。 さて、このようにフィンも元気に育ってくれており、その他20数羽もつつがなくお過ごしだが、別に我が家の飼育方法と同じにしなくとも、病気になるわけではないかと思う。逆に、どこかの文鳥の飼育経験など、治療の一環かペットホテルの預かり程度にしか無い獣医さんから、診療室という密室で受ける『指導』のとおりに飼育しても、すぐに死に至るようなことはまず有り得ない。 どこを真似すべきで、どこが問題で、どこをアレンジすべきかは、飼い主一人一人が自分自身でしっかり考えなくてはならない。「オレのやり方が絶対に正しい!」などと言っている人がいたら、それは無知なだけ。何しろ、相手(文鳥)の年齢も体調も性格も違い、飼い主の飼育目的や住環境その他もろもろが千差万別なのだから、「オレ」とは違わなければならないことの方が、よほど多いと考えるべきかと思う。 ところが、自信たっぷりに言われると、それが絶対で、何が何でもその通りにしなければならないと思い込み、さらに、優等生に真似をしている自分の方法を過信してしまう。そうなれば、自分の飼育方法を顕示したくなるのが人情だが、それはやはり人それぞれなので、実は特殊な方法論があって、批判を受けることにもなってしまう。そうなると、他人を信じるのみで自分では考えていないので、自分で融通をきかせることができない。 自分なりにじっくり考え、案外、他人はしてないことをしていれば、それは批判に耐えられるか、少し考えてみる。それくらいの余裕がないと、「他人」の方が「最新の研究で・・・」などと称して、方法論を変えてしまったら、取り残されてしまうだろう。 もっとも、生活の一部で、生命に直結する飼育方法に、最新の何とかを持ち込んで、ころりころりと変えられたら、無責任で迷惑この上ないと、私は思うけれど。