フンで判るほど簡単でない
こんなの咥えてたら食べらんないわ! と投げ捨てたところ。イトはんは、体格が立派で目つきも凛々しく、本当に男前である。惜しむらくは、女の子であることか。 さて、 そういったことを推奨する人がいるのがいけないのだと思うが、文鳥を飼育して日の浅い人が、フンの形状ばかり気にするのを、私は昔から苦々しく思っていて、繰り返し苦言してきたところだ。 毎日どころか、目にすることの出来るフンの外観をチェックし、ちょっと普通ではないと不安になり、病気ではないかと疑心暗鬼になるわけだが、フンで判るくらいなら、獣医さんも楽だろうし、誰も苦労はしないのである。文鳥のフンなど、人間のウンコと同じかそれ以上に、変化があって当たり前で、そういったバリエーション豊かなフンを見て、正常か異常かを峻別することなど、よほどの達人でも不可能と思われ、少なくとも私には無理だ。これは、それこそフンとの奮闘の中での結論なのである。 例えば、明らかに元気のない様子の文鳥(8代目のヤッチ)だが、食欲はあってフンもしており、そのフンも外見上は異常に見えなかった。ところが、元気のない状態が改善しないので連れて行った動物病院では、フンをつぶしてしげしげと眺めた小鳥の専門性絶大の獣医さんに、消化不良を起こしていると指摘された。見た目ではわからないが、つぶしてよくよく見れば、細かな粒状で消化が不十分とわかるのだが、そんなことを、家庭で毎日、普通の飼い主が実施出来るだろうか?否、そもそも、体調の異常は、フンなど見なくても判っていたのである。いったい、元気があるか無いかと、フンに異常があるか無いかと、どちらが健康の判断として簡単であろうか? 健康の判断は、全体的な様子で感じ取れるもので、それは、毎日しっかり文鳥の様子を観察していれば、自然と身につくものだと、私は思う。その際、文鳥の様子を見ずに、フンに注目などしていたら、気づくべきことにも気づかなくなるとも心配になる。「考えるな!感じろ!!」では漠然として不安には相違ないが、人間に対しても、目の輝きがないとか、何となく生気がないとか、全体的印象から健康を感じられることは多いはずで、それを具体的に見れば、顔色が悪いとか動作が鈍いとか、そういったことに気づくものではなかろうか?間違っても、その人のトイレに付き合って、その落とし物を確認することはあるまい。 文鳥の場合も、目の輝き、クチバシや羽などの色つや、動作、そういったところで、以上を感じ取れるはずで、それは前日の様子、健康な時の様子を一番知っている飼い主だからこそ、気づくべきものだろう。そんなことができるかしら?と思うかもしれないが、その文鳥を愛して一緒に生活してよく見ていれば、絶対に出来るものなので、飼い主である自分を信じてもらいたい。