入院生活その後と葬儀など経過【7】完
4日 仏壇の位牌が多くなって邪魔なので、どうしてくれようかと思い、まずは様子を確認しようとしたところ、2日にやって来た葬儀屋担当氏から、仏壇の扉は閉めておくように母が言われ、昨日も、葬儀後に自宅に寄っていった姉が、その扉を開いたので、閉めておくように言われたらしいと、私が止めていたのを思い出した。しかし、考えてみれば、なぜそのようなことをするのだろうか?第一、いつまで、そうしていなければならないのだろうか? わからないので、インターネットで調べたところ、神棚の穢(ケガレ)封じを仏壇と混同しているだけで、扉を閉める必要はなく、むしろ成仏するように導いてもらわねばならない本尊を隠しては意味がない、との意見があり、その方が本当に思われた。仏さんが仏さんを忌み嫌ったらおかしいだろう。仏さんに拝んで、死人を仏さんにしてもらいたいのに、その仏さんを隠してどうするの?そこで、扉を全開し、迷える?霊魂を、さっさと娑婆から連れ去ってもらうことにした。6日 A病院で支払いを済ませ、葬儀代金用の資金を銀行から引き出した。それにしても、このA病院の院長先生は、胃ろう手術の説明には熱心だったが、その後は姿を見せなかった。死人には興味がないのだろう。 年金の手続きについて、年金機構に問い合わせ、必要書類を整え始めた。7日 市役所の支所に、健康保険から支給される葬祭費の申請をし、私の住民票と故人の除票を入手した。 葬儀屋さんのヌーボー氏が集金に来たので支払いを済ませた。次の機会があれば、この葬儀屋さんには頼まないことに決めていたが、それは言わないでおく。8日 年金関係の申請に戸籍謄本が必要なので、本籍のある横浜市に行く。引越しの際、面倒だったので本籍を移していなかったのだ。京浜東北線で南下し、東神奈川駅で降り、神奈川区役所で戸籍謄本を入手し、タクシーを捕まえるのが面倒になって、あっちの方だろうと、おそろしく寒い雨天を、徒歩で三ツ沢墓地へ向かった。 横浜の山の上に住んでいた時は、急坂もさほど珍しくなかった。長く住んだ場所は標高50メートルのを超える山頂だったし、この墓地への道にしても、幼少の頃から墓参りの際にいつも歩いていた道なのだが、その坂を登りつつ、「こんな坂を人が登れるものか?」と一瞬戸惑ってしまった(前を小学生たちが軽々と登っていた)。すでに、ハマっ子の感覚ではなくなっているのだな、と満足に思いつつ、登りきってまた下り、まず墓地の管理事務所に行き、墓地の使用権利の承継手続きについて説明を受けた。埋葬許可証と印鑑証明と本印を持参しなかったので、手続きは後日とし、続いて、我が家の墓の様子を確認してから墓園の中の坂を登り、お茶屋さんに行き、墓地所有の名義人が亡くなった旨を伝え、戒名その他を印字した紙を渡し、墓石への彫刻を依頼し、納骨式の日取りについて伝えた。墓石への彫刻については、隣の石材屋さんを呼んで頂いたので、直接伝え、墓参りにご同行いただいて、現況の確認をしていただいた。祖父母や伯父叔母の戒名は、墓石の白御影石に彫刻されているのだが、何が書いてあるのか読めないので、ついでに、すべての戒名その他に白く色を入れてもらうことにした。 墓地での用事を済ませ、別の坂のおそろしく急な階段(横浜市では普通に存在)を下り、三ツ沢上町から地下鉄に乗って横浜駅、そこから東海道線の上野東京ラインに乗って赤羽駅、乗り換えて次の川口駅に戻り、駅そばのビル13階にある、年金の受付へ行き、父の死亡届と母への遺族年金申請などを行った。 以上ハードスケジュールだったが、氷雨の中を順調に事は運び、午後4時前に帰宅できた。9日 石材屋さんより電話が有り、5名の色付けを含め47,000円との事であった。 当日、お経をお願いするお坊さんを手配しなければならないが、ごく内輪の墓前供養のみなので、派遣会社に依頼することにした。お墓は横浜市で、市内の元の住居の近くには、いちおう檀家になっていたお寺さん(臨済宗円覚寺派)もあれば、禅宗なら中学校の旧友が坊主をしている寺(曹洞宗)もある。そもそも、建長寺の横の高校の出身なので、探せば同窓でも先輩後輩でも臨済宗建長寺派のお坊さんは、綺羅星のごとくかもしれないが、葬式に呼ばずに、わざわざ墓前だけお願いするのも失礼だし、お金がないので由緒正しげなお坊さんを探すのは止めた。何であれ、、葬式仏教の破壊坊主に変わりはないと思ってしまうのだ。 いくつか派遣業者が存在しているが、違いはよくわからないので、とりあえず運営会社が明示されているところに、メールで依頼した。折返し電話連絡があったので、詳細につき説明をした。他の先祖たちの位牌の移動も同時にお願いした(先祖の位牌を移すのも含め45,000円)。11日 お坊さんの派遣会社から、依頼を受けていただく僧侶が決まった旨、電話連絡があった。寺の名称を言っていたので、調べてはみたが、どこなのかわからなかった。葬式の際のお坊さんもそうだが、法事などを請け負って派遣する『寺』、つまり寺を持たない坊さんの吹き溜めみたいなものが、かなり存在している気配を感じた。それを批判する人も多いだろうが、仏事の執行人としては、それで良いのではないかと私は思う。 この場合のお布施は、本来、仏法僧の所在するお寺に対する喜捨で、額が多いほどその貢献度が高いとみなされがために、戒名も信士、居士、院名大居士などとランク分けされる理屈のはずで、寺が不分明な僧侶集団なら、その維持費も少なくて済むわけで、必要とする喜捨も少なくなるのが理屈なのだ。 お寺を維持するための喜捨なので、檀家となっている人は、常日頃から檀那とお寺を利用したほうが良いかと思うが、無ければ寺無し僧侶の方が釣り合いが取れていると思った。14日 唐木の本位牌と繰出位牌が届いた。16日 お坊さん派遣会社より、契約書類が届き、その確認の電話があった。24日 横浜の三ツ沢墓地の管理事務所に赴き、諸手続きを済ませた。墓石を確認したところ、まだ手付かずだったので、お茶屋さんや石材屋さんには寄らずに、そのまま帰宅した。5月14日 法要に来ていただくお坊さんより確認の電話があった。17日 10時40分頃、自宅前に予約しておいたタクシー(ハッピータクシー)に乗車して赤羽駅へ行く。それ自体が荷物と言わねばならない足弱な年寄り同伴の上、骨壷や仮位牌、ついでに先祖の位牌3つを持ち歩かねばならないので、一般車両しかない京浜東北線ではなく、湘南新宿ラインか上野東京ラインのグリーン車を使うことにしたのだ。なお骨壷用に、大きな手提げを用意しておいた。 予定通り12時5分頃に横浜駅に到着し、西口からタクシーに乗って三ツ沢墓地へ行く。30分前には着いたのだが、すでにお坊さんも姉一家も到着しており、当たり前のような顔で、お茶屋さんの中で休息していた。 不器用で人の良さそうな40歳手前くらいに思えるお坊さんに、先祖たちの戒名をお伝えし、仮位牌を姉に、個人の小さな写真を姪に押し付け、墓地へ移動してお茶屋さんの担当の人に骨壷を納めていただき、四十九日の法要となった。 私の日頃の行いが良いおかげで、快晴だったが、気温が上がって暑い中、四十九日、本位牌への魂移し、先祖の位牌の魂移し、と法要は進み、小一時間でお茶屋さんに戻った。 お茶屋さんに、埋葬費(3万円)とお花代(5千円)と石材屋さんへの支払いをし、お茶屋さんで世話をしてくれたおばさんと、骨壷を収めてくれたおじさんに、心付け(5千円)を渡し、わざわざ千葉県からやって来たらしいお坊さんにも規定のお布施に心付けを乗せて渡し、ほとんど無一文になったが、納骨室を覆う拝石が経年劣化してボロボロになっており、その交換に5万円と言われて、どこから算段しようか悩むことになった。 少々休息した後、心付けの効果か、ずいぶん愛想の良くなったお茶屋さんのおばさんにタクシーを呼んでもらい、姪が墓に置き忘れた写真を取って戻るとタクシーが来ていたので、東神奈川駅まで乗り、京浜東北線で蕨駅、そこからタクシーで自宅まで帰った。18日 香典返しの手配をした。 今回の葬儀で、準備をしていなかった私が後悔しているのは、葬式のお布施と香典返しだ。寺無し坊主に30万円も喜捨する必要はなかった。同じ派遣でも半分で済んだはず。また、香典返しは、当日3千円以上のものを配ることになったが、あれは過分であった。後で香典返しをするのが煩わしいので、当日返すのだろうが、香典の多寡はそれぞれなので、少ない人には香典以上の返礼となり、多い人には些少な返礼となり、些少な場合は別途考えねばならず、結局、二度手間になってしまうのだ。 現実的な金勘定になってしまうが、香典は最低で3千円が相場のようなので、当日の返礼は1,000~1,500円相当が適当で、額の多い人には、四十九日が過ぎて忌明けとなってから、不足分を挨拶状と一緒に贈るのが、バランスのとれたやり方だったと思う(あの葬儀屋さんにはそういったオプションが無かった)。 挨拶状の文面を、インターネット上にある例文をテキトーにつぎはぎして作り、ギフトの専門店さんにカードに印字して、品物と一緒に送ってもらうようにした。挨拶文は奉書形式が正式らしいが、仰々しいわりには、封筒に印刷物を入れても読まれないほうが普通だと思うので、カード形式にした。謹啓 時下益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます 過日亡父勇次儀永眠に際しましてはご多用中にもかかわらずご会葬を賜り且つは御鄭重なる御厚志を賜り有難く厚お礼申し上げます 葬儀の際は取り込み中にて万事不行届きにて申し訳なく存じております お蔭をもちまして 慧雀勇徳信士 五月十七日に七七日忌の法要を相営みました つきましては供養のしるしに心ばかりの品をお送りいたします 何卒ご受納賜りたくお願い申し上げます 早速拝眉の上御礼申し上げるのが本意でございますが書中を以て失礼乍ら謹んで御挨拶申し上げます 敬具 平成二十七年五月 【私の氏名】 23日 香典返しは順調に届いているようだ。お疲れさまであった。