飼育歴は長さより中身
今夜のリオくんは、調子が良さそうだった。 とりあえず、ハゲでも寒くないように、保温器を設置しておくことにした。 リオくん同様に背中から激しく換羽している↑は、アイ。 この数日、飛べなくなってしまい、昨日は隻脚の夫ポンと一緒にカゴの中のツボ巣にこもって、放鳥に参加せず、今夜は出てきたものの、ずっとテーブルの上にいた。 アイは、2008年の6月に、成鳥の姿で我が家にやって来たので、最低でも8歳だ。従って、老衰で飛翔が難しくなっているとも思われるが、変化が急なので、換羽による疲労が主因かもしれない。つまり、リオくんと同じだが、目力が違い、こちらの生命力は旺盛と思われる。ともあれ、無事に換羽を乗り越えて欲しい。 さて、再三再四繰り返すが、手乗り文鳥は、飼い主に(伴侶としての)愛情か(親しい友だちへの)愛着を持つものなので、「ウチのピースケは、私にすごくなついてるんですよ!」的な発言には、違和感を覚えている。「恋人が私になつく」とは、常識的に言わない。つまり、文鳥の方は飼い主を対等な伴侶と見なしてくれているのに、飼い主の方はあくまでも自分より目下の者が慕ってきている感覚しか持てないように聞こえてしまうのである。 簡単に、「だんだんなつく」などと言える人は、飼育経験があろうとなかろうと(同じ環境やポリシーで飼育するわけではないので、飼育歴の長短での比較そのものが無意味。同じことを同じようにして文鳥の個性にも気づかず、何万年飼育して、それが何になるのだろう?個人的な経験としては、飼育歴を誇る者に、文鳥に対する洞察力に優れている者はいなかったので、私は飼育歴をひけらかすのを、なるべく控えることにしている)、文鳥の気持ちなどわかってやるのは無理かと思う。別にそれでも困らないが、飼い主とそれに飼われてなついてくるペット、といった関係、ようするに上から目線では、文鳥の恐るべき魅力の深淵を感じられないと、思うなぁ。 だんだんなつくのは、むしろ非手乗り文鳥で、だんだん慣れてきて、近づき、腕や肩にとまるようになっていくこともある。アイも、そのように時間をかけてなついてきた文鳥だが、同じようにしても、絶対に近づかない、つまり、なつかない文鳥もいるので、この場合、性格の違いが大きい。 手乗りの場合は、飼い主への愛が、伴侶としてのものとなるか否かで、だんだんそうなることもあれば、突然そうなることもある。その「ふぉーりんらぶ」の過程も問題で、また、愛情表現の個々の違いも、注目に値する。実に奥深い。 軽率な思い込みによらず、人間を中心とした上下関係だけで判断せず、文鳥と同じ目線で考える想像力を発揮して、 違った角度でもものを考えたいものである。