迷惑なヒョウタンツギ
背中の素敵なツギハギ模様が薄れゆくノブちゃん 獣医の濱本さんにお会いしたことはないが、評判の良い獣医さんなのは承知しているので、責めるのは遠慮したいところだ。しかし、「監修」とは「書物の著述・編集などを監督すること」で、つまり、その本の内容に責任を負わねばならない立場である以上、批判を受ける責は果たしてもらう。 文鳥の換羽も繁殖期も成長段階も把握せず、繁殖は春だけの生き物のごとく錯覚する飼育経験者かどうかすら疑わしい初歩的なミスにより、発情を防止するため短日環境を勧め、動物行動学の基本である『刷り込み』の意味合いも理解せず、フィンチという言葉の意味すら知らないとなれば、獣医としての知見とは別次元の飼育に関する全般的な知識の欠如は自明である。医療従事者としての名声を、お門違いの飼育知識で傷つけないように留意されたほうが良いかと思う。 もし、たんに名義貸しをし、本の内容を把握していないとすれば、監修の責任を自覚せず、軽率により己の不名誉を招くのみならず、読者の飼育知識を混乱させてしまったことを、やはり猛省されるべきかと思う。 もっとも個人的には、文章の責任を持たない下請けのライターさんたちが、文鳥に関して己の知識が乏しいこともわきまえずに書いてしまったものを、批評眼を持たない読者に見栄えがするように有能な編集者が色付けし、それらしい人の名前を監修者として載せただけだろう、と邪推している。 ところで、『ヒョウタンツギ』を、皆さんはご存知だろうか?それは、手塚治虫の漫画に登場するツギハギだらけのひょうたん型をした、豚鼻の小うるさいキャラクターだが、先の飼育書をめくっていた私は、その内容に知識のツギハギによる整合性の欠如を感じ、それを自覚せず書き連ねた内容に、ヒョウタンツギを想起した。 それは、飼育書の執筆者に限らない。他人の知識を思うがままにせっせと自分の身に貼り付け、ゴージャスに見栄えがするようにしているつもりでも、自分の頭で考えて整合性を求めないので、傍から見れば異質なツギハギだらけ、その自身のいびつな姿を顧みず、受け売りのデタラメを大きなボリュームでがなり立てる人は、昔から、特にネット上には、多々存在しているではないか。 研究者なら、なぜ反証を考えない?ジャーナリストなら、なぜ裏を取らない?文鳥の飼い主なら、なぜ、自分や他人の文鳥への悪影響に配慮しない?そうしたものは、無責任なヒョウタンツギに求めても無駄。何とも、いい加減でうらやましいものである。