新しくするのは感覚
お転婆になってきたノブちゃん 最近、鈴と激しくケンカし、実に我が家の文鳥らしくなっているノブちゃんだが、それでも、まだ天使で、指には甘噛みしかしない。 ノブちゃんが我が家にやってきてから4、5日の間、フンの臭いで敷材の牧草の香りがかき消され、驚いたものだった。理由は、推測する以外にないが、お店に入荷した当日に購入したはずなので、繁殖サイドで数日給餌された影響と見なし、青菜を含まず鮒粉などが多いエサで差し餌した結果と、 見ている。 それには、いちおう微証が有り、それは「発情飼料は、玄米(またはアワ)1.5kgに、鶏卵7~10個、魚粉10g、ビタミン剤1.5~2gを混ぜて乾燥したもの」との『畜産全書』の記載だ。この発情飼料にお湯を入れて差し餌していれば、ああしたフンの臭いになりそうな気がしたのである。 青菜を擦らなくても良いので、刻んで加えてくれたら、かなり違いそうなものだが、実証実験はできないので、結局、憶測の域を出ない。 ところで、『畜産全書』は、1980年前後の文鳥の「生産」の様子がわかって、実に参考になる資料だが、そこには、こうした説明もある。 「孵化後15~20日齢ころのひなに差餌をして手なずけ,飼い馴らしたものを手のり文鳥といい」 私の飼育方法は、オーソドックスな色彩が強いように思う人がいるはずだが、給餌をアワ玉主体にするかパウダーフードにするか、とか、主食を配合飼料にするかペレットにするか、など、飼い主としての意識の新旧とは無関係だと、私は思う。パウダーフードもペレットも20年前からあったが、文鳥の飼育では、個別の特殊な必要性以外では切り替える必然性がないので、普及しなかっただけで、今更、そのような方法論は、新しいものとは言えない。 むしろ、手なずけるとか馴らすとか、そういった感覚で自分の文鳥と接する方が、よほど旧いのではなかろうか? 飼い主を同じ仲間と見なしている文鳥と、上から目線ではない対等な感覚で、関係を深めてもらいたいものだと思う。