ノビィの忖度ままならぬ
怒れる『狂女』ノビィ 忖度(そんたく)とは、「他人の気持を推し量ること」だ。したがって、政治では、国民の気持ちを忖度できない政党は野党になり、与党もある程度忖度して立ち回らねば、次の選挙で下野の憂き目にあう。 ところで、極右なり皇道主義・国粋主義が濃厚な思想信条を吹聴し、そうした思想を年端もいかない幼児に刷り込むような人物は、左派的思考をする人たちにとって身の毛もよだつ存在に映るものと、忖度するのは容易なところだ。さらにその人物が、首相周辺を含む右派の政治家などの名前を利用しつつ、公的補助金を詐取した疑いが多々見つかり、詐欺罪で拘留中となればどうだろう?思想上の左右を問わず、真っ当な人間なら近づきたくない存在に相違あるまい。ところが、まさにそのまま人物のことを、思想信条は真逆の人たちが、まるで真実の告発者のように扱っているではないか?これはいかなるロジック(論理)によるものであろうか?。一体この人たちの気持ちをどのように忖度したらよろしいのだろう? また、ガールズバーに潜入調査を敢行してしまう文科省の元事務次官氏にしても、なぜこの人物をヒーローのように扱えるのか、私にはまったく理解できない。もちろん、ガールズバーは買春を伴わなければ罪にはならずお好きにどうぞだが、彼が辞めた理由はそれではなく、天下りを野放しにし改善しようとしない省益保護、既得権の保全の行動に拠っているのを、理解しているのだろうか?具体的に言えば、許認可権を握る文科省から使い古しのOBが、早稲田や慶応などの私学の大学に「天下り」しており、それをあっせんする組織が存在し、省内で暗黙の了解事項となっていた。これが学問の自立をおびやかす行為でなくて何だと言うのだろう?政官財の癒着を断ち切る行政改革を志向する政党のロジックに基づくなら、彼は貪官汚吏(たんかんおり)の類と見なされ、糾弾されるべき存在のはずである。ところが不思議なことに、官僚腐敗を声高に叫び、政治主導を唱え、民業に対する政府の介入を極度に否定している左派の人たちが、こぞって真実を語るヒーロー扱いするのだから、そのダブルスタンダードに呆れ果てるではないか? 平然と自分が日頃唱えていた思想信条に反し、普段なら忌避し糾弾していた者をもてはやす彼らの気持ちを忖度すれば、「改憲は絶対悪。それを目指す安倍晋三は許せない。安倍が憎けりゃ皆同志、一緒に政権つぶしましょう!」以外に、有り得ないように思われる。思想信条を越えて、安倍政権を倒しましょう?それほど軽い思想信条などあって良いものだろうか?それは感情論でしかなく、まさに、思想信条もロジックも何もない小学校の学級会レベルに他なるまい。 憲法の改正など国民の過半が支持しない限り実現しないのだから、改憲を阻止したいのであれば、それを目指す安倍首相などの思想・信条・ロジックに対し、それに反対する思想・信条・ロジックをもって、国民を説得すれば良いだけではないか?好き嫌いだけで思想もヘチマもなく群れるなど、個別に是非を冷静に判断すべき大人の対応とは言えず、もはや小学生にもなお劣ると言わねばなるまい。 このように忖度忖度ソンタクソンタクと他人の気持ちを考えると、不思議なことの理由も見えてくる気がするものだ。例えば、財務省の文章改ざん問題では麻生財務大臣の引責は免れないが、不思議なことに辞めようとしない。辞めないどころか、TPPの新聞での扱いが小さいと愚痴をこぼして物議をかもす始末だ。しかし、無責任な態度で許せないと怒るだけではなく、そのような無理筋を通そうとする裏を忖度したらどうだろう?現在、日米間の経済問題は互いのナンバー2、日本側が副総理でもある麻生大臣、米側がペンス副大統領が担当する取り決めになっているので、代えられないし辞められないのではないか、になりそうな気がする。確かに、もし、麻生さんが辞任してこの枠組み自体がご破算になれば、比較的に常識的で穏健な副大統領ではなく、意固地で気まぐれでアメリカ第一主義をむき出しにした相手から、無茶な要求が繰り返されることにもなりかねないのである。 麻生大臣にしてみれば、アメリカの保護貿易主義や二国間経済交渉を求める圧力に対して、アメリカを除く11ヵ国の枠組みは盾にも武器にもなる。「お宅以外とはこういった基準だから、ぜんぜん違う対応は出来ないのよ」と言えるので、その成立は何にも代えがたい意味がある。したがって、辞めるに辞められない以上は、「俺が交渉する他なく、その際武器になるのはTPP」と、そのような考えが頭を占めているので、「モリトモモリトモ・カイザンカイザン」とやかましく感じてしまうのではなかろうか。国益のために、それどころではないのが本音だろう。 さらに、昨今の大相撲でも、真相を考えるにも忖度を必要としそうな話が起きている。今や(昔からでもあるのだが)相撲界の問題児になってしまった元横綱貴乃花さんが、大相撲の年寄と言うからには100人ほど集まったであろう総会でつるし上げ状態となり、その際、今後の行動に気をつけると反省の弁を繰り返すだけの貴乃花さんに対し、「これからじゃなくて今まで何をしたかが問題。あなた一人の言動で協会の1万人の家族の生活を脅かしかねないことをした」と元横綱大乃国の芝田山さんが発言したそうで、それが貴乃花さんへのいじめではないかとする異論を呼んでいるのである(スポーツ紙記事)。 しかし、その場の状況を踏まえて芝田山さんの気持ちを忖度すれば、それはむしろ貴乃花さんを擁護するための発言ではなかったかと思える。何しろ当日は、あの大横綱で相撲人気の立役者にして若くして伝説の人になっている貴乃花さんに対し、弟子が暴行された際に被害届を出しながら、弟子が付き人を暴行しても被害届を出さないのはなぜか、といった強烈なイヤミや、さらには今後問題を起こさないように誓約書を書かせるべきとの発議まであり、貴乃花さんの気持ちを忖度する人たちも、「まあまあ、謝っているのだから・・・」と言うのが精いっぱいの雰囲気となっていたようで、それこそ昔、左翼活動家の『総括』で「自己批判」を迫られるような修羅場になっていたらしいのである。そのような非難轟轟の状況で、怒れる人たちの非難を真っ向から否定すれば、どうなるだろう?火に油を注ぎ収拾がつかなくなる恐れがあり、万一にも暴力沙汰に発展すれば、もはや大相撲は終わってしまうのではなかろうか?そうした場合、より上の立場の人が、不平分子の話を引き取って、怒りに狂う人たちの気持ちを代弁する形で発言するのが、話を過激化させずに収めるもっとも有効な常套手段であり、大人の知恵と言うものであろう。同じ「ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」でも、芝田山さんの発言の前と後では違う意味となり、後なら、とりあえずその場は治まるものである。 さて、長々と書いたのはただの話の枕か、そうでもないのか、読む側の忖度に任せ、かくもさまざまに忖度(忖度と邪推は紙一重)してしまう飼い主ながら、現在、『狂女』ノビィ(ノブ)の気持ちを忖度できずに困っている。 相変わらず、すべてのものを相手にツボ巣の領有権を主張して怒り狂い獅子奮迅だ。この娘にアラシのような意外な展開が起きるだろうか。親としては心配だ。反撃されて飛びのくノビィ