としまえんは忘れた
横浜時代の生き残りノコリ としまえんが閉園した。・・・からどうした、と思うのだが、としまえんねぇ。 せっかくなので記憶をたどれば・・・。あれはドリームランドだし・・・、あの時行ったのはよみうりランドで、あれはサマーランド・・・・。・・・て、あれか!・・・うむ、嫌なことは忘れることにしているので、記憶から抹消した記憶だけが残っている。 そう言えば、菅官房長官が総理大臣を目指すらしい。菅さんと言えば、横浜市西区が選挙区、つまり、私は長らくその選挙民だったので、最初に衆議院議員に立候補した時から知っている。また、東北からやって来た若き日の彼が秘書をしていた小此木彦三郎の材木屋さんは、私の幼少期の住所の近くだから、おそらく何度もニアミスしているはずで、何となくシンパシーを感じる存在だ。 選挙用紙に名前を書いたことのある人物が一国の宰相になるのは、何となくうれしい。しかし、コロナウィルス対応の不手際や(未知なのでうまく対応できない方が当たり前ではある)、大臣や政務三役に不適任者を多く任命した点など、本来、官房長官の職を辞して総理大臣に累が及ばないようにすべき立場だと思っていたので、辞めるどころか出世するなど筋違いに思えてしまう。 個人的には、本質的に縁の下の力持ちタイプの「令和おじさん」は、長期政権の負の側面についての責任を一身に負って官房長官を辞め、半年ほどしてほとぼりが冷めたら自民党の幹事長になるのが、綺麗な筋道であったと信じる。それが、日の当たるトップに立つなど、柄に無い役回りは、かえって気の毒と言うものであろう。 それでも、まあ、総理になられてもなられなくとも、精々頑張ってください。 その横浜時代を知る文鳥は、すでにノコリだけだ。 11歳を過ぎ、カゴに引きこもりきりとなり、最近は止まり木では安定しないらしく、ツボ巣の上でうつらうつらしている時間が長くなっている。 さらに不自由になって来たら、いろいろ対応が必要になるかもしれない。症状に合わせて考えたいところである。