名字に「~のぉ」はNO
ヒナ換羽に突入したコッペぱん だよね、大河ドラマの考証の人(創価大の坂井孝一さん)。 これは文学部的には一般常識だと思うが、氏姓(うじかばね)、天皇から送られた藤原とか平とか源などは、「藤原の何某」「平の何某」「源の何某」と、氏姓と名前の間に「の」を入れて読むのに対し、北条、畠山、三浦、などの名字の場合は、名前との間に「の」を入れない。ところが、現在の三木谷幸喜さんの大河ドラマは、おそらく意図的に繰り返し繰り返し「の」を入れているので、まったく耳障りとなっている。つまり、脚本家は無知、時代考証は不作為であり、せっかく話は面白いのに、間抜けなことになっている。 おそらく、歴史にも文化にも無頓着ながら現代の語感には優れた脚本家は、昔のまたたび映画に出てくる博徒の親分たちが、「清水のぉ~」とか「大前田のぉ~」と呼び合うような『社会』が念頭にあるのだろうが、それであれば通名でなければならない。つまり、北条さんちの四男坊なら、北条「の」小四郎くんであって、実名の義時と組み合わされることなど有り得ないのである。 もちろん、当時の坂東武士などはやくざのようなものなので、ずっと後世の博徒の親分(実名など無い庶民)と類似性もあるが、彼らはそれでも中世の支配階級で、家の歴史を負って実名を持つ人たちだったのである(博徒の親分に親兄弟や一族があるのか?「社会」の類似性を追うばかりでその相違点に気づかないのでは困る)。名を挙げ名を残しそのため懸命に戦ったのであり、その名称の扱いがぞんざいでは、時代考証として不適切と言わねばならない。 やくざまがいに「北条のぉ~」「三浦のぉ~」と呼び合うだけなら、なるほどとうなづける。さらに「北条の小四郎」と「三浦の小次郎」が仲良しでも構わない(本当はどうだったかなどわからない)。しかし、「北条の義時」と「三浦の義村」などと呼び合ってもらっては鼻白む、それは無知の誤りだからである。っそれは細かいようだが、そのあたりをしっかり考証して頂きたいものである。 で、侵略戦では歩兵の質が全て、だと、認識させてもらえるロシア軍のウクライナ侵攻。補給線の道路に敵に待ち伏せられて対戦車携行ミサイルなど使用されたら、どうにもならんわな。線を守ることも出来ずに面の支配など出来るはずがあるまい。市街戦も占領後のパルチザンによる洗礼も受けずに敗退とは、そもそも侵略する能力など無かった、と言えよう。 夜郎自大で己の軍の根本的欠陥を理解しなかったのが、独裁者として命取りであった。 それらはさておき、コッペはヒナ換羽でボサボサでもかわいい、と明記しておこう。