義経の鎌倉攻略作戦?
お呼びでないのに映り込むシラタマ この↑後、帰らぬ鳥になるとは思わなかったが、キンカチョウのシラタマが急死した。産卵してはコロコロを追い出そうと騒いで、結局、産卵し続けることになって、文鳥ならいろいろ書くところだが、代わりにNHKに八つ当たりをする。 先の日曜日、NHKの「大河」で、源義経が北上川から鎌倉まで船団で押し寄せて奇襲すれば、鎌倉を滅亡させられる、途中の三浦半島の三浦氏を味方にしておけば、気づかれない。などと言っているのが聞こえて(小鳥の水交換をしているので耳に入っただけ)、唖然とした。 その天才的な戦術に驚いたわけではない。その幼児の戯言でどや顔できるNHKの見識に驚いたのである。 兄源頼朝を討ち取らんと決意した義経率いる奥州軍は、なぜかわざわざ平泉から川船に乗って列を成してのライン下りを敢行、ざっと50キロ!南下して石巻から海に出るわけだ。いくら何でも吃水の浅い川船で海に乗り出す想定ではないだろうと願いたいが、とりあえずその点はの詮索はせず、何らかの船で沿岸を南下、どのようなマジックかは知らないが、宮城、福島の長い沿岸を南下して茨城、となれば関東地方だ。もちろん小山氏や常陸大掾氏といった源頼朝の有力御家人の支配地なのだが、不思議なことに誰にも気づかれず、およそ200キロ!も南下すれば、房総半島の根元銚子に達する。 ところで、銚子の突端は有名な犬吠埼で、犬吠埼沖と言えば現在でも海の難所とされ、江戸時代の帆船も避けたことくらいは、大河の脚本家も時代考証の人も・・・、不幸にしてご存じないようだが(利根川水運を利用して東京湾へ運ぶのがセオリー。房総沖は北からの親潮に抑えられる形で北上してきた黒潮が東流するので、船が太平洋の真っただ中へと押し流されることになる。ついでに冬はからっ風が西風となって沖合に吹き抜けるので、帆船などは抗いようもなく流される)、なぜか義経の率いる奥州軍は、木っ端のような小船の分際で外洋に流されることなく外房を南下しなければならない。 もちろん、房総と言えば、やはり源頼朝の有力御家人の千葉氏の領域だが、これまた摩訶不思議にも誰にも気づかれずに、またもや200キロほど沿岸を下ることが出来て、南房総の突端に達っしてしまう。もちろんここは頼朝とゆかりが深い安房の国だが、神のいたずらで誰にも気づかれず、さらに東京湾へ流れ込む無茶苦茶複雑な潮の流れをものともせずに、またもや20キロ!も行けば三浦半島、NHK大河の義経君の鎌倉奇襲作戦は成功するはず?である。 ざっと行程500キロ、帆のない手漕ぎ船の時速など5キロ未満、普通に考えれば潮流が逆流なら進みもしないはずだが、なぜかずっと5キロで進んだとしても100時間は必要で、つまり、4日以上かかってしまう。その間、ずっと海の上などにいたら、どこに流されるかわからないが、「白河」以南はすべて敵地だ。野営などしていたら、夜討ち早駆けの的になるだろう。 つまり、「大河」の梶原景時は感嘆していたが、実際なら「バカじゃね?」と言われて終わりの現実離れした作戦でしかない。実現性が、遺憾ながらゼロなのである。 いかに「大河」でも、もう少しリアリティを持たせてもらいたいものである。