パリピな文鳥
コツブとマレ この2羽はなぜか気が合うようだ。もちろん、マレが優しく接しているのではない。それどころか、踏んづけて転がしたりするのだが、小粒がめげずにくっ付いて回るのだ。コツブの姉?マンマルはマレを避けるしマレもつついて追い払ったりするので、どうも仲が悪い。・・・性に合う合わない、これを相性と言うのだろう。 以下閑話 さて、Amazonプライムに何となく入ってしまい、その後、ケーブルテレビでNetflixが観られるのを知って、喜んでコース変更をして、『赤毛のアン』を1話だけ見て、がっかりし(製作者がアレな人のようでリアリティを追求したつもりで陰惨な内容となり、アンの人間的魅力が消滅していた)、せっかくなので、「史料編纂所ののび太さん」と心の中で呼んでいる(ここで書いていいのかは疑問だが、まあいいや)、本郷和人教授が薦めていたと記憶する『キングダム』というアニメを見て(かの人は漫画で呼んでいるようだが)、蒙恬とか晩年を知るとアレだよな、とか、馬があんな風に踏ん張ったら脚ボキボキだわな、とか思いつつ、見ている。ついでに、流行っていたので、『鬼滅の刃』も全部見た。面白かったからというより、よほどひどくない限り習慣的な義務感ですべて見るのである。感想?アレはアレだよ、いかにも『少年ジャンプ』な外見で、中身は中世の仏教説話のようだ。何しろ、切られて消滅する鬼が改心して成仏したりして、(笑える、と書くと怒られそうなので)奥ゆかしい。ついでに、『平家物語』のアニメも見た。ビワという身の程をわきまえず懲りない困った女の子が、平家の小松家(清盛の長男重盛の一家)に居付いて、平家の人々と親しくなり、その盛衰を目の当たりにして、琵琶語りで伝えることになるのだが、内容は・・・『平家物語』と違う気がするのだが、まあ、いいと言うならいいんじゃないか、であった。 で、文鳥と戯れる30分の間のテレビ番組を失った私は、先日来『パリピ孔明』というアニメを見ていた。これが、五丈原で死んだ諸葛亮孔明が現在の渋谷に流行りの?転生をして(なぜか日本語ネイティブ)、歌手志望の女の子に出会い、その軍師となってプロデュースするという、まあ、しょうもない話だ。年寄りの私は、まず、「パリピ」とは何か?でひっかかり、それが「パーティ・ピープル」の略で、ようするにお祭り騒ぎが好きなタイプの人のことだと調べねばならず、そうとわかれば、それが文鳥と結びつき(毎日夜会をしているので、ウチの文鳥はパリピなのだ)、孔明とは結びつかずに、何となくずるずる見たわけである。 なお、私は横山光輝の『三国志』は大判でリアルタイムに読んでいたし(わかる人にしかわからない)、吉川英治の『三国志』は風邪で寝込むたびに全巻読破していたし、もちろん、NHKの人形劇三国志は欠かさず見たので(島田紳助はどうでも良いが竜介は惜しいことをした)、つまり作中に登場する三国志オタクのジジイ同様で『三国志演義』(=フィクション)の三国志には詳しい部類だ。 で、内容はどうでも良い。歌はうまいと感心したが、それもどうでも良い。ただ、おかげでラップについての認識が改まった。くだらないことをダラダラ言っている耳障りな小僧の早口だと思っていたのだが、なるほど、諸葛孔明、というより古代中国の弁舌家の論争に通じるし、韻を踏むのはいかにも文学だ。つまり、実は奥深いし、和歌など忘れた我々世代が、批判など出来ないものかもしれない、と思ったのである。ワカモノとバカモノは一字の違い、などとバカにしてはいけませんな。